平山郁夫 陶壁画 「広島生変図」
陶壁画:「広島生変図ひろしま しょうへん ず」 The Holocaust at Hiroshima
  平山郁夫(ひらやまいくお)画伯は1945(昭和20)年8月6日、学徒動員中の陸軍兵器支廠の材木置場(現在の南区仁保にあった)で被爆し故郷の瀬戸田町へ避難途中黄金山で数時間にわたり広島全市が炎に包まれているのをぼうぜんと見つめていた。34年後原爆死没者慰霊碑の前に立った時、平和の灯があの日目にした炎と重なって見えたという。
この生変図は被爆体験を自分の原点と考える画伯の唯一の原爆の絵である。けっして滅びることのない平和、生まれ変わって生き続ける「不死鳥ヒロシマ」のイメージを表現している。この陶壁画は、広島県立美術館に所蔵されている原画をもとに、世界恒久平和を念じる多くの人々の善意と協力により製作設置されたものである。 

             1994(平成6)年8月6日「広島生変図」陶壁画製作会
2005年撮影してこの頁を編集しました。
2009年12月2日平山郁夫氏死去を報道で知りました。御冥福をお祈りし合掌。
「広島で被爆した私(平山)は、平和の祈りは描き続けたが、直接的に原爆図は描かなかった。1978(昭和53)年8月6日お参りした私は、記念堂の灯に、被爆の業火が甦った。広島は不死鳥のように生きよと、火焔の中で不動明王が呼び、今も生きていると、広島の被爆を描いた。作品からは原爆の悲惨さや戦争の愚かさよりも「広島は決して滅んだわけではない、生まれ変わって生き続けているんだ、ということを表現したかったんです。』とこの広島生変図の解説がもう少し詳しく報道されていましたので、追記しました。
2015年ここ平和記念資料館東館のリニュアル工事中ですので、この作品が拝見出来るのかなと思って久しぶりに撮影しました。この場所は現在リニュアル工事の範囲ではないようでした。
15.02.15.更新    09.12.03更新  05.04.01裕・編集

05.03.19撮影
広島市中区中島町1-2     広島平和記念資料館東館・地下1階ロビー

05.03.19撮影
右上に描かれているのは不動明王で、
右手の剣は悪魔や煩悩をくじき、左手の羂索(けんじゃく:縄)は自由を示すと一般的にいわれています。

15.02.08.撮影
敬称は略しました



「平和記念公園」編


広島平和記念資料館・東館



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「野外彫刻など」編


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