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西区三滝本町の三滝墓苑に建立されている「佐東町原爆精霊供養塔」です。 |
1951(昭和26)年5月(当時中島本町の)誓願寺に建立されたそうで、1965(昭和40)年5月誓願寺の三瀧への移転に伴い現在の三滝墓苑に移築されたそうです。
安佐郡川内村温井(現:広島市安佐南区佐東町)住民(義勇隊員)180柱が祀られているそうです。 |
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旧佐東郡川内地区では200人近い男性が爆心地すぐの中島町の建物解体(建物疎開)作業に出かけたまま還らぬ犠牲者となり、「原爆未亡人村」の悲劇として現在まで語り継がれています。 |
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1889 |
明治22年4月1日 |
市町村制施行。
佐東町域には当時沼田郡に属する川内・緑井・八木の各村がありました。 |
1898 |
明治31年 |
温井村と中調子村が合併して川内村となりました。
沼田郡から安佐郡の川内村となりました。 |
1955 |
昭和30年7月1日 |
川内村、緑井村、八木村が合併して佐東町となりました。 |
1973 |
昭和48年3月20日 |
佐東町は、広島市に編入されて消滅しました(同時に安佐郡も消滅しました)。 |
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2007年三滝墓苑内を探しこの「佐東町原爆精霊供養塔」を撮影し、この頁を編集しました。
「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第10号碑の碑文を読んで、「原爆未亡人村の悲劇」(75世帯も一瞬のうちに生み出したそうです)を知りました。
当初1951(昭和26)年に、この慰霊碑を建立した川内村温井地区がそうだったのです。いまは平和記念公園西側本川河畔にも「義勇隊の碑」が1964(昭和39)年に建立されています。 |
2015年久しぶりに三滝地区に建立の碑を撮影しました。
この佐東町原爆精霊供養塔も撮影しましたので、掲載画像を見直し追加し、この頁を再編集しました。
2007年わたしはこの供養塔を探し回りましたので、巡礼の手引きにしていただければと今回略地図ですが掲載しました。 |
15.08.12.再編集 07.12.14裕・記編集 |