(豊平町)平和・碑

  山県郡北広島町戸谷の新琴谷橋西詰に建立されている「(豊平町)平和」碑です。
※1987(昭和62)年碑建立時は、山県郡豊平町でした。
※碑は、高さ3m×幅3mの巨岩です。
碑正面: 平和
  広島県知事 竹下虎之助謹書
碑裏面:  昭和六十二年五月三十日
豊平町原爆被爆者の会建之
-山県郡豊平町略沿革-
1889(明治22)年4月1日市町村制施行時後の豊平町域には次の三村がありました。
   都谷村=都志見村+戸谷村+長笹村
   原村=中原村+西宗村+志路原村+海応寺村+上石村+下石村
   吉坂村=今吉田村+阿坂村+吉木村
1956(昭和31)年3月31日都谷村+原村+吉坂村=豊平町発足。
2005(平成17)年2月1日山県郡豊平町+大朝町+芸北町+千代田町=北広島町発足(で豊平町廃止)。
2021年8月2日中國新聞の『豊平被爆者の会「平和の碑」清掃 北広島』の記事で、
『・・・・箕牧智之会長(77)たち5人が午前7時ごろ、西宗川沿いの石碑の周りで清掃作業を始めた。
銅製のハト4羽をあしらい「平和」の文字を刻んだ石碑の表面をたわしで丁寧にこすり、洗い流した。周辺の雑木を払ったり、雑草を取ったりして約1時間汗を流した。
石碑は同会が1987(昭和62)年恒久平和の願いを込めて町有地の一角に建てた。
1979(昭和54)年に751人だった会員数は現在135人で、高齢化も進む。広島市内の姉を捜すため入市被爆した柿本昭六さん(88)は「街の様子、地元の寺で手当てを受けて亡くなっていく被爆者の姿を覚えている。誰にも同じ思いをしてほしくない」と語った。』と知り訪ねたのです。
2021年8月中國新聞報道で旧豊平町の被爆者が135人と減ってきたとの報道でした。
参考にしている図書にこの豊平町平和の碑の紹介があり碑の存在は知っていましたが、わが家からは遠くだったので訪ねたことは無かったのです。
コロナ禍の2021年いわゆるシルバーウィークに、息子もわたしも2回のワクチン接種が終わり2週間以上経っていることもあり、車で連れて行ってくれたので撮影してこの頁が編集できました。
建立場所は参考図書の‘新琴谷橋横’、新聞記事の‘西宗川沿い’から現・豊平支所付近をグーグルマップで見ていくと道路沿いの橋横に写っていたので事前に確認していました。
21.09.28.裕・記編集

21.09.24.撮影
山県郡北広島町(旧・豊平町)戸谷  西宗川に架橋の新琴谷橋根際

21.09.24.撮影

21.09.24.撮影
「平和」揮毫:竹下虎之助(知事在任1981-1993;1924-2008)

21.09.24.撮影
 (鳩でしょうが勇ましい姿に見えたわたしでした。平和も勝ち取るものでしょうから)

21.09.24.撮影
 (鳩像の作者はわかりませんでした)

21.09.24.撮影

21.09.24.撮影
(裏側からみました)

21.09.24.撮影



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