(復元工事中の)猿猴橋
  南区的場町と猿猴橋町を結び猿猴川に架かる「猿猴橋の復元工事中」を取り上げました。
*1945(昭和20)年8月6日被爆した猿猴橋でしたが、架橋当時の姿に復元しようと工事がなされています。
猿猴橋は2015年、戦前の姿に復元されるべく、主に親柱、高欄(こうらん≒欄干:らんかん)の工事が行われています。
1945(昭和20)年8月6日被爆した猿猴橋は、戦時中の金属供出で、親柱の金属製の飾り、金属製であった欄干が石造に取り替えられていました。
今回の復元工事は、金属供出された親柱の金属製飾り、金属製欄干に取り替えられようとしています。
親柱飾りは、地球儀にのる羽ばたく鷹で、その飾りが工事現場の根際に誰もがみられるように仮展示されていました。
欄干は、2匹の手長猿が向かい合い桃を握っている図柄でした。(これは展示がないようでした)
        モニュメント(記念碑)の由来     2015(平成27)年3月26日   猿猴橋復元の会
1926(大正15)年に改築された猿猴橋は、親柱に吉祥を意味した鷹が羽ばたく華麗なる姿でしたが、1943(昭和18)年「金属供出令」により、橋上の金属装飾部分を国に供出されました。
2007(平成19)年地元民は、石部のみの橋となった現橋を憂い、橋の復元運動に立ち上がりました。この復元運動は、広島市が猿猴橋の復元を英断した契機となりました。その記念として、親柱の鷹をモニュメントとして設置したものです。
                    制作:広島市立大学芸術学部  協力:平賀金属工業(株)
寄附者(3万円以上):企業、団体、個人など62名
広島市によると復元事業費は約2億1千万円だそうです。
金属類回収令:1943(昭和18(年8月12日勅令第667号)とは、
日中戦争から太平洋戦争にかけて戦局の悪化と物資(武器生産に必要な金属資源)の不足を補うため、官民所有の金属類回収を行う目的で制定された勅令(≒天皇が発した法的効力のある命令)。
1941(昭和16)年に公布され(昭和16年8月30日勅令第835号)が改訂されたもの
被爆70周年記念事業について広島市企画総務局によると
『「平和都市としての求心力の向上」を目的に、被爆70周年を記念する事業を次の四つのテーマに沿って(50の事業を)実施します。
1.平和の発信力の強化
2.被爆者援護と次世代への平和への思いの継承
3.スポーツ・文化芸術による平和の体現
4.復興したまちの魅力の再発見と更なる発展』
(このうちで50番目の事業として)猿猴橋復元事業の実施があります。
2015年(被爆70年)原爆関連の慰霊碑を巡っていたのです。的場町原爆慰霊碑を撮影して広島駅の方に行っているときに猿猴橋をみると復元工事が行われていました。近づくと、鷹の飾りが展示されていましたので、撮影していたのです。
2015年は原爆関連の慰霊碑関連頁を更新したり編集したりしましたので、この復元工事中の猿猴橋の頁編集が2016年になりましたが、編集しました。
被爆70周年事業のシールが貼ってありましたので、その一つとして復元工事が行われていることを知りました。
この工事が被爆70周年事業なのかと思わずにはおられませんでした。
被爆橋梁として未来の広島市民に残す事業ではない(むしろ被爆した橋の部分を撤去する工事)と思うからで、昔の姿の猿猴橋を復元することは、まち賑わいつくりというような別の事業でなされるべきではなかったのかと思ったからです。
16.12.19.裕・編集

15.09.05.撮影
広島市南区的場町と猿猴橋町を結ぶ猿猴橋の復元工事中

15.09.05.撮影
(南区的場町側から復元工事中をみました)

15.09.05.撮影
(仮設のガードレールが設置されその外側の欄干工事中でした)

15.09.05.撮影
南詰西側に展示されていた、新しい橋名板「猿猴橋」と親柱の飾り

15.09.05.撮影
(親柱の飾り)地球儀に乗る羽ばたく鷹

15.09.05.撮影
(後側:広島駅南口Bブロック市街地再開発の内の商業棟工事中が写っています)

15.09.05.撮影
(正面からみました)

15.09.05.撮影
(後側からみました)

15.09.05.撮影
(横からみました)



「広島の橋」編


被爆した建物・構築物



広島ぶらり散歩
(猿猴橋関連頁)
猿猴橋
 (復元工事中)猿猴橋
(復元された)猿猴橋
猿猴橋・案内板-南詰設置-
(北詰新設)猿猴橋・案内板


inserted by FC2 system