(鶴見橋)被爆樹木・シダレヤナギ
  広島市南区比治山本町の鶴見橋東詰北側にある「被爆したシダレヤナギ」です。
2008(平成20)年被爆シダレヤナギは、枯死したようでした。
しかし、根元の‘ひこばえ’部分が生長し、現在はそのひこばえ部分のシダレヤナギが大きくなり新しい白色の被爆樹木標識(下記)が付けられています。
本体(親株)部分は柳としての役割は終わったようです。
ひこばえ(分かれて芽吹いた)部分は元気のようでしたが。

2007(平成19)年6月30日中國新聞に被爆ヤナギ瀕死の状態という記事をみました。
また、このヤナギの知らなかった事も記事に載っていましたので別頁編集の参考にしました。

このシダレヤナギの樹齢は110年くらい、幹の高さ≒3m、1984(昭和59)年の台風で折れ曲がった〔
原爆被災説明板の画像をみるともともと曲がってはいましたが〕ので支柱が施されたそうです。
【撮影経過】
1945年9月 2004年・2006年 2007年・2008年 2015年 2018年
原爆被災説明版 親株・ひこばえ株 親株枯死 ひこばえ株 被爆樹木標識
2021年 2023年
ひこばえ株 ひこばえ株
           (新しい標識) 被爆樹木 シダレヤナギ
      A-bombed tree  Weeping willow  (Salix babylonica)

              爆心地から1,700m
近くにあった架け替え前の橋のたもとで被爆し、後にここへ移植されました。被爆した幹は枯れ、新たな幹が成長しました。※1
※1 広島市平和推進課の資料によると
『付近にあった古い鶴見橋のたもとで被爆、1990(平成2)年現在の鶴見橋架橋時、今のところ移植されました。
上部を失ったため、頭を下げたような形になっている幹は治療のかいなく枯死しましたが新しい幹が成長し、大きく枝を広げています。』とあります。
※2 旧の黄色被爆樹木標識は、このシダレヤナギには設置されていませんでした。
鶴見橋(東詰)根際のシダレヤナギは爆心地から≒1700mで被爆しました。
被爆の惨禍から立ち上がっていく広島市民を、被爆に耐えたシダレヤナギはみてきたのでしょうね。
2007年枯死状態になったという新聞記事をみて撮影に行きました。(別頁で編集しました)
2008年みた時は枯死したようでした。
2015年久しぶりに撮影しました。ひこばえ部分は元気なようでした。
2018年立寄り撮影しました。
この時、新しい白色の被爆樹木標識がつけられていました(上記)これも撮影しました(ので)2018年撮影の画像に加え(下段に)この頁を更新しました。
コロナ禍の2021年撮影しましたので、この頁を更新しました。
24.01.12.更新   04.04.20裕・記編集
“親株”と“ひこばえ株”ともに元気だった時 2004年・2006年撮影
被爆シダレヤナギが鶴見橋東詰北側にあることを知り撮影したのです。
親株は勢いがないな〜とは思いましたが、この時は、数年もしないうちに親株が枯死するとは(わたしは)思ってもいなかったのです。

04.04.06.撮影
広島市中区東平塚町・鶴見町地区と南区比治山本町を結ぶ鶴見橋を≒北西より鶴見橋をみました
(画像左円内に被爆したシダレヤナギ)

04.04.06.撮影
広島市南区比治山本町20 (鶴見橋東詰北側)被爆樹木・シダレヤナギ

05.11.03.撮影

05.11.03.撮影
 ひこばえ株は勢いがありました ひこばえ株に比べ親株は勢いが劣っていました 

06.08.06.撮影
被爆したシダレヤナギを≒北側からみました   原爆被災説明板
親株枯れかかり枯死しました 2007年・2008年
2007年4月撮影した時、斜めになった親株枯れかかっているのかと思いました。
2008年枯死しており、枝が剪定されていました。 
2007年6月30日中國新聞報道で、親株が枯死したことを知りました。
別頁(下にリンク)で、お絢香部の枯死までの過程や画像を増やして編集しました。 
   関連頁:(本体部分が枯死した)鶴見橋被爆樹木・シダレヤナギ

07.04.05.撮影
≒北東側からみました

08.03.15.撮影
本体だった部分は枯死していました。ひこばえ部分は元気なようでしたが
 ひこばえ株だけになった 2015年撮影
枯死した親株は倒木しないよう支えられていました。
ひこばえ株は元気なようでした、
2006年撮影して以来撮影していなかったので、久しぶりに2015年になりましたが撮影しました。

15.09.05.撮影
(≒西南側)電車道越にみました

15.09.05.撮影
(≒西北側)電車道越にみました
新しい白色被爆樹木標識が取り付けられた 2018年撮影
(過去に、黄色被爆樹木標識は、親株にもひこばえ株にも取り付けられていませんでしたが)
ひこばえ株に新しい白色被爆樹木標識が取り付けられていました。
他の被爆樹木に、新しい白色被爆樹木が取り付けられてきていましたので、ここ鶴見橋の被爆シダレヤナギにも取り付けられたのではと撮影に来てみたのです。

18.08.26.撮影
南(西より)側からみました

18.08.26.撮影
(枯死した親木はひ“こばえのヤナギ”に覆われています)

18.08.26.撮影
(枯死した親木の先端の方は切断されて小口に蓋が付けられています)

18.08.26.撮影
ひこばえの幹に新しい白色の被爆樹木標識がつけられています

18.08.26.撮影
被爆シダレヤナギ と 手前:鶴見橋原爆被災説明板

18.08.26.撮影
ひこばえ株元気か見に来た 2021年撮影
ひこばえ株、夏の暑さにまいっているのか?茂り方が減ったように(わたしは)感じましたが。
以前撮影した時は茂っていましたが、今(2021年)回はそうでもないかなと思いましたが、元気ではあるのでしょう。

21.08.11.撮影
(広島電鉄比治山線越に)被爆シダレヤナギ と 原爆被災説明板をみました

21.08.11.撮影
被爆シダレヤナギを≒北側からみました

21.08.11.撮影

21.08.11.撮影
左側:ひこばえ  右側:枯死した親株 枯死した親株はセメントで埋められています

21.08.11.撮影
枯死した親株が倒れないように支柱で支えられています

21.08.11.撮影
ひこばえの部分は元気なようです
ひこばえ株元気か見に来た 2023年撮影
シダレヤナギは、ヤナギ科ヤナギ属落葉高木ですので、撮影の3月はまだ冬場なので葉っぱは少ないようでした。
春を待っているのでしょうが、元気ではあるようでした。

23.03.13.撮影
≒北側からみました

23.03.13.撮影

23.03.13.撮影
≒西側(鶴見橋側)からみました

23.03.13.撮影
≒南側からみました

23.03.13.撮影

23.03.13.撮影
≒東側からみました

23.03.13.撮影
(ひこばえ株に白色被爆樹木標識が見えます)

23.03.13.撮影
≒東側からみました
「(被爆した)鶴見橋とシダレヤナギ」 1945(昭和20)年9月 松本栄一氏撮影
原爆被災説明板の写真を使用しています
鶴見橋・原爆被災説明板  
爆心地から約1650m   
(被爆したヤナギ≒1700m)
被爆当時、この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとが、焼夷弾などによる延焼を防ぐため、建物疎開作業に従事していました。人類史上最初の原爆投下により、この作業に動員されていた多くの人びとが犠牲になりました。原爆の強烈な熱線により欄干など(※当時木造橋)に着火しましたが、すぐ消し止められ、多くの被災者がこの橋を渡って比治山などに避難しました。シダレヤナギもかろうじて被爆に耐え、今日まで生き続けています。
東詰めから撮影された鶴見橋とシダレヤナギ  1945(昭和20)年9月 松本栄一氏撮影



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