旧・山口県庁舎

   山口市滝町に残されている「山口県旧県庁舎及び県会議事堂」です。
山口県旧県庁舎及び県会議事堂 国指定:重要文化財  昭和59(1984)年12月28日指定
旧・山口県庁舎(及び県会議事堂)は、山口市滝町にある近代行政建築物です。
山口県は当初、藩政時代の建物を県庁舎として使用していましたが、建物の老朽化を理由に、1911(明治44)年11月の県会で、県庁舎及び議事堂の新築が可決されました。
設計は大蔵省臨時建築部に依頼し、武田五一(1872-1938)、大熊喜邦(1877-1952)が担当ししました。
工事は1913(大正2)年から始められ、上棟1915(大正4)年9月24日、完工は1916(大正5)年7月10日でした。
旧県庁舎は南面する煉瓦造二階建で、軒高は10.06m。建築面積は2395.5uです。
要所を花崗岩とする他は、表面モルタル塗とし、横目地を入れて石造風にみせています。屋根は正面中央部を寄棟造り、各隅を宝形造りとし、要所にドーマーウインドウ(≒傾斜面に突き出して設けられる屋根窓)を設けています。主要部は天然スレート葺き(現在は銅滓ドウサイ瓦葺き)で、廊下屋根は亜鉛引鉄板です。
平面はロ字形で、正面棟の中央前面に車寄、玄関を張出し、背面中庭側に二階を正庁にあてた突出部があります。一階には多くの一般執務室を置き、二階には正庁、知事室など主要室のほか一般執務室があります。
旧県会議事堂は、旧県庁舎の東に南面して並置されています。建物は煉瓦造二階建で、軒高は9.67m。建築面積は708.0uです。
県庁舎とおなじく要所に花崗岩を用いる他は、横目地を入れたモルタル塗となっています。屋根は正面中央を一段高い寄棟造りとし、その上に頂部をドームとした方形平面の塔屋をのせ、要所にドーマーウインドウを設け、本来の天然スレート葺きを現在は銅滓瓦葺としています。
平面は横長の正面棟の中央全面に車寄せを突出させ、平面に議場を張り出して配置しています。議場は一階南側中央壇上に議長席と演壇を設け、その前方に扇形に議員席を配しています。
山口県旧県庁舎及び県会議事堂は、大正初期の煉瓦造公共建築として数少ない遺構で、県庁舎と議事堂が一体となって保存されている点でも貴重です。設計は当代を代表する建築家である武田五一、大熊喜邦の二人が担当し、明治期以後の近代建築の展開を考える上で重要な建築といえます。また意匠は正面車寄の独立石柱の意匠などにみられるように、各所に東洋建築の形をアレンジして取り入れるなど、明治期以後熟成した様式建築を基礎としつつ、大正時代に入ってあらわれた新しい意匠傾向がうかがわれます。 
なお、現在、旧県庁舎は県政資料館として、旧議事堂は議会資料館として、一般に公開されています。
資料は山口県教育庁社会教育・文化財課の資料を参照しました
瑠璃光寺から山口大神宮に行く途中にみたのがこの旧山口県庁舎でした。
新しい県庁舎になっていることは仕事の関係で知っていましたが、旧県庁舎がのこされ資料館になっていることは知らなかったので撮影したのです(正月でしたので、資料館の見学はできませんでしたが)。
1878(明治11)年新築された広島県庁舎でしたが1945(昭和20)年8月6日米軍投下の原子爆弾で多くの県職員とともに破壊されましたので、わたしは写真でしか知りませんし、福岡で育ったわたしは、旧福岡県庁舎の実物はみていましたがいまは解体され写真でしか見ることができません。そのようなことで、わたしは貴重な県庁舎建物だなと思いましたので、山口県の資料で建物に関することも調べてみました。
12.02.24裕・記編集

07.01.03撮影
山口県山口市滝町1-1

07.01.03撮影

07.01.03撮影

07.01.03撮影



「山口ぶらり散歩」編



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