(横川橋親柱部分の)旧横川橋モニュメント

  中区寺町1丁目と西区横川町1丁目を結ぶ横川橋の親柱部分のそれぞれにモニュメントとして嵌め込まれた四枚のブロンズのレリーフを、この頁では取り上げました。
*「旧横川橋」、「旧横川橋」、「帆かけ舟」、「江戸時代の風景」と題した四枚のレリーフです。 
  モニュメントに残されている被爆した鉄骨アーチの「旧横川橋」は、
1923(大正12)年3月1日
鉄製桁橋として竣工しました。橋長:63.4m、幅員:7.11mで橋脚がない上部二鉸式鋼アーチ、重力式橋台の橋でした。
             爆心地より≒1,290mに位置していました
1983(昭和58)年架替えの為に解体されました。
※旧横川橋の竣工年をWikipediaでは1920(大正9)年としており、橋長・橋幅も多少違っています。
  レリーフの説明文の「この地区(横川町、楠木町)は太田川の重要な物資集積場でした」について
太田川流域における最大の貨物陸揚場だったそうで、横川駅から専用線を引き込んだ“楠木の大雁木”は陸と海の連絡港の役割を果たしていたそうです。(下段にこの戦前のこの付近の地図を付けました)
    関連頁;楠木の大雁木
2004年横川橋の頁を編集した時には、このモニュメントのレリーフ3枚を一緒に編集していました。
2014年に撮影していなかった1枚を撮影していました。2017年横川橋の頁を更新した時に、この親柱部分に嵌め込まれたレリーフに鋳込まれたれそれぞれのルーフの説明文を読んで、分離独立したこの頁に編集しました。
17.04.30.更新   17.04.11.裕・記編集

17.04.27,撮影
広島市中区寺町1丁目と西区横川町1丁目を結ぶ横川橋

04.11.21,撮影
横川橋(北詰西側親柱部分)

04.11.21,撮影
江戸時代の風景 
横川橋は広島から出雲・石見に至る雲石街道の要所でした

14.12.25.撮影
帆かけ舟 
この地区は太田川の重要な物資集積場でした。舟の往来は昭和の初め頃まで続いていました。

04.11.21,撮影
旧横川橋 
大正12(1923)年に架けられ、原爆にもよく耐えて60年の長きにわたり人々を渡し続けました

04.11.21,撮影
旧横川橋
アーチ橋の優美な曲線はこの地区の景観のシンボルとして親しまれました
 
(昭和14(1939)年3月18日陸軍運輸部検閲済の廣島地図の一部を使用)



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