平和の門 -広島-

 平和の門は、高さ9m、幅2.6m、奥行き1.6mで鉄骨の枠組みを強化硝子で覆っています。
10基の門は、(平和大通りを挟んで向かい合う)ピロティー形式の平和記念資料館・西館(=本館)の10本の柱と(平行に)同じ間隔で75mにわたり配置されています。
十基としたのは、伊・詩人ダンテの「神曲」※に出てくる九つの地獄に被爆を加えたといい、歴史を越え、未来に向かって開かれた記憶と希望の架け橋を表現しています。
表面には世界18種類の文字と49ヶ国の言語で「平和」の文字が刻まれ、内側のライトが点灯されると、光の中に文字が浮かび上がるそうです。この門は、仏・芸術家(グラフィックアーティスト)クララ・アルテール氏と建築家ジャン・ミシェル・ビルモット氏が被爆60周年を機に制作し広島市に寄贈しました(事業費約三億円は日本と仏蘭西の企業などが出資。市は設置期間について「恒久的ではないが、未定」としている)。
両氏は世界平和を祈念して世界の都市に「平和の壁」を設置するプロジェクトを手がけ、
これまでに2000(平成12)年にパリ市(仏)で「平和の壁」:形状は立方体を、
2003(平成15)年にサンクトペテルブルク市(露)で「平和の塔」:形状は塔を制作しています。
*資料は広報ひろしま8.1号ほかを参考にしました
ダンテ (Dante Alighier:1265-1321)
伊の詩人。フィレンツェの国政に関与して追放され、放浪生活を送る。
終生の理想の女性ベアトリーチェを主人公として人類救済の道を示す叙事詩「神曲」、清新体詩の抒情詩集「新生」を著した。ほかに「俗語論」「帝政論」「饗宴」など。
神曲しんきょく
原題 (イタリア) Divina Commedia。ダンテの長編叙事詩。1307〜1321年頃にかけての作品。
地獄編・煉獄編・天国編の三部。詩人ウェルギリウスや恋人ベアトリーチェに導かれ、作者自身がこの三界を遍歴する幻想譚を軸に、信仰による魂の救済と至福への道程を壮大な構想で描く。痛烈な社会批判をこめた中世キリスト教的世界観の総括的表現とも、SF 的幻想冒険譚とも読めるそうです。(が、わたしは読んでいません。)
2005(平成17)年7月30日平和記念公園南側の平和大通り緑地帯に『平和の門』が完成しました。
7月16日交流ウォークの時には、まだ工事中で仮囲いがありました。7月28日立ち寄った時は仮囲が撤去されていたので撮影し帰宅後平和という言葉を少し調べ『「和平」中国語、「Paix」仏語、「Frieden」独語、「Pace」伊語、「Paz」スペイン語、「Мир」露語、ハングルはあれだなと』この頁を編集しました。
2006年9月東側を歩いていたら床に平和の門作者などが刻まれているいることに気がつき撮影しました。
2015年久しぶりに撮影しこの頁を再編集しました。
15.02.28.再編集      05.08.09裕・記編集

05.07.28撮影
広島市中区中島町 平和大通り(南側緑地帯)

05.07.28撮影
≒西側から「平和の門」をみました

05.08.12撮影
平和記念公園側から10基の門をみました

05.08.12撮影

05.08.12撮影

05.08.12撮影
「平和」の文字が刻まれているという「平和」日本語「Peace」英語、くらいしかわかりませんでした。

06.09.11撮影
何度も通っていたのに上ばかりみていたようです、下をみると平和の門設置の日付、作者名などが刻まれていました。

05.08.12撮影

15.02.08.撮影

15.02.08.撮影
嵐の中の母子像の)北側から「平和の門」をみました

15.02.08.撮影
(噴水:祈りの泉の)北側から「平和の門」をみました
工事中(2005年7月16日撮影)

05.07.16撮影
ほぼ完成していましたがまだ仮囲いが設置されていました

05.07.16撮影

05.07.16撮影
工事看板のこの工事名が「平和の門-広島-」となっていましたのでこの頁の題をそうしました。
(仏語でも工事名がありましたがわたしがわかりませんので省いています)



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