ひろしま へいわきねん しりょうかん・ほんかん
広島平和記念資料館・本館
(つうしょう) げんばくしりょうかん
(通称:原爆資料館
  中区中島町の平和記念公園内に建設されている「広島平和記念資料館・本館」です。
*現在では(広島市の資料でも)本館と称していますが、以前は東館に対して“西館”と称していました。
また、多くの市民が、通称として(広島)原爆資料館とも呼んでいますので、わたしも通称・原爆資料館とも書いています。
平和記念公園は建築家・丹下健三(代表)、浅田孝、大谷幸夫、木村徳国、四氏の設計です。
コンペ入選の当初案は平和記念館--巨大アーチの慰霊塔--旧産業奨励館(原爆ドーム) を一直線の南北基軸とし、平和記念館には、(東に)本館+(中央に)陳列館+(西に)集会所 を配置した案でした。
(+部分は空中歩廊で繋ぐ)
(平和記念公園)競技設計[コンペティション:(略称)コンペ)]
広島市復興局により実施。1949(昭和24)年7月20日締切り時、145点の応募があったそうです。
当時東京大学助教授・丹下を中心にしたグループ案が1等になりました。
募集要綱には「旧産業会館を含む中島地区一帯を対象として、平和記念館、原子爆弾災害資料の陳列館、集会場、平和の鐘を釣る塔などの配置」が求められていたそうです。
広島平和記念資料館・東館に対して、この建物は(以前は)「西館」と呼ばれていましたが、現在は「本館」と呼ぶのが主流になっているようです。
この頁を編集した2000年当時は「西館」として編集しましたが、この頁の題を本館とし加筆しています。
この広島平和記念資料館・本館(西館)は、当初の案である原子爆弾災害資料陳列館に当り、柱で浮かした建物とし、100m道路(平和大通り)からの門にもなり陳列館の列柱を透かして、慰霊塔、旧産業奨励館(原爆ドーム)を見通せるように計画した建物です。
この原爆資料館下のピロティー空間には、平和を行動的にたたかいとる人々のエネルギーで満たしたいという設計者の願いが込められているそうです。
 平和記念資料館開館
1955(昭和30)年8月24日
 平和記念館と平和記念資料館(本館)改築
1991(平成3)年8月(本館) 地上2F一部中3F、延床1,615u
1994(平成6)年6月(東館) 地上3F地下1F、 延床10,098u
※東館に対して西館でしたが、広島市広報をみると本館と呼び変えていますので訂正しました。
         -平和記念資料館の歩み-
1949(昭和24)年9月広島中央公民館に「原爆参考資料陳列室」設置
1955(昭和30)年8月平和記念館と平和記念資料館が開館
1994(平成6)年6月平和記念館を改築し一体化し東館+西館(本館)として開館

本館(西館)の館名石
2000年からはじめた「広島ぶらり散歩」と題した(この頁も含む)HPは、通称・平和公園からはじめました。
この(通称)原爆資料館を小学生だった時代に見学した昔々、“被爆して傷ついた人たちの写真”そして“被爆再現人形”などをみた恐ろしさで、夜眠れなかった事を思い出します。
「核兵器のない世界の実現を願う」わたしの心を伝えられればとはじめたこのHPの原点でもあったのではと思っています。
この広島平和記念資料館が、2018年(予定)の全面リニュアルでは広島市はいま展示している「被爆再現人形」を撤去することを決めたと(撤去に反対する人が多いと聞く中)報道で知りました。
2006年4月21日ラジオを聴いていたらこの「原爆資料館が国の重要文化財に指定されることが決まった」と云い、戦後の建築としては初の指定となるそうです。設計者※は丹下健三(1913-2005)と紹介していました。
広報ひろしま8.1号をみていて「2006(平成18)年7月5日国の重要文化財に(正式に)指定された」とありました。
2010年原爆忌の時上方から撮影していましたが、2011年の今になりましたが追加しました。
広島平和記念都市建設法に基づいての設計競技1位入選の丹下健三グループが平和記念公園などと合せて設計したもので、この通称・原爆資料館の実施設計は、丹下健三です。
* 世界平和記念聖堂も同時に国の重要文化財に指定されました。
広島平和記念資料館のリニュアル工事が行われています。
まず、2014年9月〜2017年2月の予定で東館のリニュアル工事が行われています。(観覧不可部有)
次に、2017年〜2018年春の予定でここ本館の耐震工事が行われます。(期間中は観覧不可)
2015年11月から2016年年末まで(耐震工事前に)工事範囲で、被爆時の発掘作業が行われました。
(現在の平和記念公園は被爆時の上に盛土され整備されたことからです)
広島平和記念資料館・本館は、2017(平成29)年2月から2018(平成30)年7月の予定で耐震工事に入りその間本館内の観覧はできないと広島市は云っています。
2020年の通称・平和記念式典は参加者をしぼり限定した中で催されました。(2021年もコロナ禍の中での式典でした)
 関連頁:(発掘作業も撮影した画像を掲載している)平和記念公園広場の四季(2015年)(2016年)
23.06.05.更新    00.01.15裕・記編集
関連頁 平和記念館平和記念資料館東館原爆災害資料陳列館通称・原爆資料館)+集会所国際会議場
敬称は略しました 

00.08.05.撮影
広島市中区中島町1-2
建物の形状はハーモニカ型で、ピロティ形式(仏建築家ル・コルビジェがよく採用した形式)です

00.01.10撮影

01.10.10撮影
(南側西よりからみました)祈りの泉の噴水がみえます (北側からみました)手前:平和の池、原爆死没者慰霊碑

02.12.24撮影
平和記念資料館改修工事が始まっていました

03.10.09撮影
ピロティー空間で修学旅行の小学生が昼の弁当を食べていました。若いエネルギーで満ち満ちていましたが

04.02.22.撮影
手前から (西ドイツなどから送られた)バラの植込み、平和の灯、原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館

05.08.12.撮影
この平和記念資料館の10本の柱と対面に平和の門(10基)ができて平行位置とかで≒西南より撮影しました。

10.08.06.撮影
2010年原爆忌の通称・原爆資料館付近をみました

08.06.07撮影

22.04.20.展示資料撮影 

03.01.05撮影

13.03.11撮影

14.01.23.撮影
公共建物百選 建設工事中写真  2003年の改修工事 2013年の改修工事 建物(耐震)調査2014年
08.08.01更新 23.06.05.編集 02.12.30更新  13.08.28.編集 14.06.05.編集

06.04.15.撮影

06.04.15.撮影

06.04.15撮影

13.04.08.撮影

16.09.15.撮影
(資料館展示)
佐々木禎子さんがおった

折り鶴
(資料館展示)
原爆で変形した

相生橋部材
(資料館展示)
原爆で感光した

レントゲンフィルム
(資料館展示)
日本人が撮影した
原爆きのこ雲
(資料館展示)
被爆した人で出来た
人影の石
13.04.15更新 13.04.16更新 06.10.20編集 13.07.31.編集 16.09.25.編集

13.04.08.撮影

16.06.16.撮影

13.04.08.撮影
(資料館展示)
ローマ法王

平和へのメッセージ
(資料館展示)
オバマ大統領

メッセージと折り鶴
(資料館展示)
丸木位里・俊夫妻
メッセージ(スケッチ)
13.04.17.編集 16.06.17.編集 17.04.24.編集

16.12.22.撮影
(北側からみました)発掘作業は終わったと聞きますが、掘削残土があることから仮囲いはあります

16.12.22.撮影
南東側からみました。来(2017年)春から耐震工事がはじまるそうです

20.08.06.撮影
2020年コロナ禍の通称・平和記念式典は、参加者を限定して催されました



平和記念公園」編


「建物」編・全体



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