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中区吉島町に設置されているの広島刑務所です。
※広島刑務所で2012年起きた「中国人受刑者脱獄事件」についてもこの頁で取り上げました。
※被爆した外塀が建替えられ、正面門も一新されましたので、取り上げました。 |
広島刑務所は、1888(明治21)年3月監獄として設置されました。時代と共に呼称を変え現在に至っています。(下記に略沿革)
1945(昭和20)年8月6日に被爆しました。被爆当時は木造建屋が主でしたので、大きな被害を受けたそうです(被爆した広島刑務所・塀の頁に記述しています)。
戦後、建屋は主に鉄筋コンクリート造、鉄骨造で新営され、(2011年現在)処遇管理棟等新営工事や外回りの塀の建替工事が行われていました。 |
撮影した2011年12月は外塀建替工事中でしたので、新旧・外塀を対比した頁にしようと考えていました。
撮影して1ヶ月もしないうちに刑務所内から脱走者がでるという不祥事が起きましたので、この頁で取り上げました。 |
1888 |
明治21年3月 |
吉島(現在地)に監獄設置 |
1890 |
明治23年10月 |
広島監獄署と改称 |
1903 |
明治36年4月 |
広島監獄署を広島監獄と改称 |
1922 |
大正11年 |
広島監獄を広島刑務所と改称 |
1945 |
昭和20年8月6日 |
原爆投下により多数の職員、受刑者が被爆、死亡 |
2012 |
平成24年1月11日 |
受刑者の中国籍の男1人が脱獄。2日後に逮捕されました。 |
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一般的な建物での改修工事などで組立てる外部足場は泥棒がそこから入る危険性が高い事から部屋の施錠を忘れないようにと(建築屋のはしくれだった)わたしは、改修工事の時には住人の方たちへ注意書きを貼りだしたり、直接話したものでした。
ここ広島刑務所の外塀建替工事の仮囲いと足場をみた時、中の人間が逃げだすことがないような内部側足場もなっており、脱走者がでないようにと機械的設備が設置してあるのだろうだろうな〜と思ったのですが、まさか撮影してから1ヶ月もたたないうちに脱走犯が工事用足場を利用して脱獄したのかと驚きました。 |
広島刑務所中国人受刑者脱獄事件とは、
2012年1月11日に広島刑務所から中国人受刑者・李国林が脱獄した事件です。受刑者が殺人未遂で収監されていた事から、警察庁が特別指名手配をした。
1月13日午後4時半ごろ、刑務所から2Km離れた西区天満町で発見。職務質問で本人であることを認めた。捜査員の連絡で応援のパトカーが来たときに、脱獄者は近くの建物の非常階段に逃げ込んだが、そこで身柄を確保された |
脱獄(事故)者の身上関係等
[身上関係] 氏名:李国林(リ・コクリン)。生年月日:1971年6月8日生(40歳)。国籍:中華人民共和国。
[罪名] 住居侵入、公務執行妨害、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締
[刑名刑期] 懲役:23年。 平成19年12月27日〜平成41年5月21日(逃走により同月23日に変更) |
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受刑者逃走事件の概要 |
1月11日 |
午前、広島刑務所の受刑者50人が運動の為グラウンドに出ていましたが、10時40分ごろに点呼をとったところ李受刑者が所在不明になっていることが判明。
(後に確認した監視カメラの記録映像には)10時30分ごろ李受刑者がグラウンドにある用具小屋の屋根に上り高さ2.6mの塀を乗り越える様子が記録されていたが、監視する職員が見落としていたそうです。
その後、雨樋をつたい事務所の屋上に上り、工事のために設置していた仮塀と工事中の外塀を足場などを利用して乗り越え、敷地外に逃走したとみられています。
外塀の上には本来は脱獄しようとして接触するとブザーが鳴る防犯線がありましたが、事件当時には工事のため取り外されており、役割をしていませんでした。
外部の市民から受刑者と見られる下着姿の男がいたとの通報がもたらされ、脱走した判断、11時25分になって広島県警に通報。
捜索は広島県警の捜査員の他、広島刑務所の刑務官も動員して行われました。また、警察庁は社会への危険性が高いとして特別手配に指定。
警察犬の捜査で東側≒200mの位置にある「吉島公園」で足跡は途絶えていました。 |
1月12日 |
昼ごろ刑務所から西へ1.5km離れた民家に空き巣に這入り、衣類(ニット帽・ジャンパー・ズボン)や鞄を盗み、中にあった食料の飲食などを行っていました。それらの事実は、ビール缶に残された唾液のDNA鑑定で明らかになりました。また、その周辺で事務所侵入や車上荒らしなどを繰り返し行ったと見られています。 |
1月13日 |
午後4時半ごろ、刑務所から2km離れた西区天満町で女性捜査員が李受刑者を発見。職務質問で本人であることを認めたので、捜査員の連絡で応援のパトカーが来たときに、近くの建物の非常階段に逃げ込みました。しかし、そこで身柄を確保されました。 |
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法務省矯正局が2012(平成24)年2月29日付「広島刑務所逃走事故検証結果報告」書を出しその中で、“検証結果等に基づく再発防止策”を発表しています。 |
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故に、脱走犯を出した広島刑務所を批判する事は極力控え、
建築屋だった経験から、工事足場から脱走犯を出さないようにする内部側の設備の不備を指摘します。
また、近くの処遇管理棟等新営工事が竣工間もない時で、監視体制に不備があったのではとも思いました。
そして、単なる広島市民として、この事件の時外出から帰ってきたわが町のJR中野東駅で電車を降りた時、改札口にお巡りさんが警戒監視していたことでこの凶悪な受刑者の脱走事件の深刻さを思ったものでしたので、安心した市民生活がいとなまれる為、同様な事件が起きないように願っていますという事でこの頁の締めとしました。 |
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2013年8月21日この頁を編集した時には、北側にはまだ“被爆した塀”が残り(建替え工事中)でした。
原爆死没者鎮魂の碑を撮影した時、立ち会っていただいた刑務所担当者に塀の建替え工事は2015年度に終わるだろうと聞いていました。
2019年6月になりましたが、全部が新しくなった外塀を撮影しました。
この時正面門付近が一新され新しく駐車スペースなどが整備され、正面門も一新されていましたので、画像を加え頁を更新しました。(新しい外塀は別頁で編集しています) |
20.03.03.更新 13.06.08.裕・記編集 |