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中区本通の広島アンデルセン前に建立されている「旧:帝国銀行広島支店・原爆関連説明板」です。
※新店舗へ建替えで、2018年7月より解体工事で広島市設置の原爆被災説明板は撤去されました。
*2020年8月広島アンデルセン リニューアルオープン時に新しい原爆関連の説明板が設置されました。
※被爆建物は解体され、その一部(東面外壁一部)がモニュメントとして残され再設置されました。 |
帝国銀行広島支店 (爆心地から約360m) |
写真の建物は、1925(大正14)年に三井銀行広島支店として建てられましたが、原爆が投下時は合併により帝国銀行となっていました。猛烈な爆風のため、屋根は抜け落ち、爆心地に近い西側の壁も崩れ落ちました。
戦後は、1967(昭和42)年にベーカリーとして改修され、増築、耐震補強工事を行いながら使用されましたが、2020(令和2)年い爆外壁を保存した上で建替えられました。 |
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被爆後の帝国銀行広島支店
〔左が北正面外壁(本通り側)、右が西面外壁〕1945(昭和20)年8月末、撮影:井上直通 |
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2020年建替工事に伴う被爆外壁の保存・再現 |
1967(昭和42)年に建物を取得し、広島アンデルセンを開店して以来、被爆に耐えたこの建物は、≪食卓に幸せをはこぶ≫店でありたいと願うアンデルセングループに最高の舞台を与えてくれました。しかし、耐震性能の不足と設備老朽化に伴い、2016(平成28)年に閉店し建替えを行いました。建替えにあたっては被爆建物としての歴史的意義に鑑み、その保存に関する検討を重ねた結果、被爆当時のまま残る旧建物東面2階外壁を切り出し新店舗外壁に再設置するとともに、後年改修により喪われていた本通り側正面の列柱を再現しました。本通商店街に残る被爆建物として、将来にわたり広島の被爆の実相と復興のストーリーを伝えて行きます。 |
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旧建物東面(袋町通り側)□切り出し再設置した外壁 (株)アンデルセン生活文化研究所 |
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1925(大正14)2月この地(革屋町)に三井銀行広島支店として鉄筋コンクリート造2階建てとして新築されました。
設計は長野宇平治建築事務所で、施工は大倉土木(戦後大成建設と改称)でした。 |
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資料によると
『1945(昭和20)年8月6日米軍の原爆投下で宿直行員6名、女性行員12、13名の方々が亡くなったそうです。
建物は原爆被災説明板でわかるように屋根・天井は大部分が崩れ落ち外壁は爆心地方向の北西部は著しく破壊されています。しかし、金庫室は屋根・スラブや壁が他より厚く、(米国)モスラー社製金庫は被爆に耐え現金や帳簿類は無事だったそうです。』 |
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2018年7月より解体工事が開始され、広島市設置の旧帝国銀行広島支店・原爆被災説明板は撤去されました。
2020年11月コロナ禍のなかでしたが、日赤での定期健診前にアストラムライン紙屋町終点駅で下車しく開店したアンデルセン(店舗)を訪ねました。
以前の広島市設置の原爆被災説明板が店舗前に再設置されるのかなと思っていましたが、新しい2つの説明板(上記の内容で)設置されていました。
被爆外壁の一部を残そうとする(費用面を考えても)アンデルセングループのその意志は広島市民に対して強いメッセージとなっていますが、旧建物が完全に解体されていますので“被爆建物”ではなく、「被爆モニュメント」であり、説明文にある『被爆建物として・・・』は誤解を与える碑文になっていると(わたしは)思ったので(上記紹介の碑文は)碑文そのままの文章ではありません。 |
21.01.06.裕・編集 |