こい えき
己斐駅・原爆被災説明板
  広島市西区己斐本町のJR西広島駅前に広島市によって建立されている「己斐駅・原爆被災説明板」です。
※(2023年見たとき)新しい説明板になっていました(説明文が多少変わっています)。
(新)己斐駅・原爆被災説明板
爆心地から約2,400m
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原爆により駅舎の大部分が一瞬にして倒壊しました。
しかし、8時前に上りの列車も下りの列車も出たところだったので駅構内で被爆した人は少数でした。
この駅は広島の西玄関口であり、近郊へ避難する無数の罹災者が殺到しました。
陸橋だけを残し倒壊した己斐駅 1945年秋 川本俊雄氏撮影
(旧)己斐駅・原爆被災説明板
爆心地から約2,400m
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原爆により駅舎の大部分が一瞬にして倒壊しました。
しかし、その時は上・下列車が出た後で待合室の客は少数であったので人的被害は少なかった。
この駅は広島の西玄関口であり、近郊へ避難する無数の被災者が殺到しました。
陸橋だけを残し倒壊した己斐駅 川本俊雄氏撮影
              己斐駅(現在:JR西広島駅)略沿革
1897(明治30)年9月25日山陽鉄道の広島駅〜徳山駅間が開通、と同時に己斐駅も開業しました。
1906(明治39)年12月1日山陽鉄道が国有化され国有鉄道の駅となりました。
1969(昭和44)年10月1日西広島駅と駅名が改称されました。
1987(昭和62)年4月1日国鉄分割民営化で西日本旅客鉄道(JR西日本)の西広島駅となります。
2020(令和2)年1月31日橋上駅舎工事に着手。
2021(令和3)年12月19日橋上駅舎暫定開業(駅前広場整備中)。
1993(平成5)年ころ、仕事の関係で西広島駅を利用しこの原爆被災説明板の前を朝夕1年ほど通った事がありましたが、今(2004年)回広島市の原爆被災説明板の資料をみるまで全く知らなかったのです。
この碑の横を足早に通っていた事になります(向かいの派出所はぼんやりと覚えているのに)まったく情けないわたしでした。
2014年久しぶりにまわりの情景を撮影したのでこの頁を更新しました。
2023年日赤での定期健診の帰りに遠回りにして橋上駅舎になった西広島駅を撮影に来た時、この原爆被災版の説明板が新しくなっていたので撮影したのです。
23.12.17.更新    04.05.15裕・記編集
(旧)原爆被災説明板 2004年・2008年・2014年撮影
原爆被災説明板が銅板で出来ており少しづつ黒ずんできていました。
2004年撮影したとき原爆説明板前近くにコロッケ屋さんが開店しており、買ってお行儀悪く立ち食いでしたがおいしかったのですが、2008年には店じまいしていました。
2014年にはたこ焼き屋さんになっていました。、

04.05.12.撮影
広島市西区己斐本町1-11   JR西広島駅前
陸橋だけを残し倒壊した己斐駅  川本俊雄氏撮影

04.05.12.撮影
交番の前に設置されています、隣にコロッケ屋さんができていました。

08.09.08.撮影
通った時コロッケでも食べるかとみたのですが別の店になってシャッターが下りていました。

14.12.25.撮影
≒東南から己斐駅・原爆被災説明板の後側をみました   JR西広島駅東口

14.12.25.撮影

14.12.25.撮影
たこ焼き屋さんになっていました (隣りは)広島西警察署己斐交番で変りはありませんが
(新)原爆被災説明板 2023年撮影
経年変化で、みにくい陶板の原爆被災説明板になっていたので、新しい説明板に取り換えられていました。
説明板の文章趣旨は変わっていませんが、文章が変わっているところがありました(上記)。
2023年駅前広場の整備工事をしていましたが、橋上駅は開業していました(別頁で編集)。
原爆被災説明板の前に位置していた交番が、駅舎の方に移転していました。
2014年撮影したときのたこ焼き屋さんは、2023年にも健在でした。

23.02.22.撮影
広島市西区己斐本町1-11  橋上駅になったJR西広島駅

23.02.22.撮影
新しい説明板になっていました

23.02.22.撮影
説明文が多少変わっていました

23.02.22.撮影

23.02.22.撮影
原爆被災説明板前の広島西警察署己斐交番は、新駅舎に移転していました



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