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廿日市市宮島町幸町に鎮座している「幸神社」です。
※昔は、護王御社とも呼んでいたそうで、護(午)王の町とも云っていたそうです。 |
御祭神: |
猿田彦神 |
由緒: |
御鎮座の年月は不詳です |
例祭: |
旧暦八月十五日 |
色の道の神様(道祖神)として境内奥には御神体があるそうです。 |
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「末社 道祖神社」、俗に「幸神社」といい町も幸町という、一間社流造りの本殿と幣殿及び拝殿(瓦葺板敷)があり、石造の四脚鳥居があり、石の玉垣を前面に造っています。
そこの石段を降りた所に未完成の鉄鳥居があり、昔はこの辺りに辻君※がいたと伝えられています。 |
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※解説資料は、厳島神社社務所発行「伊都岐嶋」を参考にしました |
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過っては、疫病の神・牛王が祀られ社殿の背後には陰陽石があり、道祖神のご神体といわれ道祖神社とも呼ばれていました。
神社前の通りは東町から厳島神社に参詣する道筋に当たり未完の「金鳥居」があり、このあたりは島内でも屈指の賑わいで、1800年代初め頃から神社の名も幸神社と呼ばれるようになり、町の名前も「牛王町」から「幸町」に変わりました。
幸町の住民は疫病封じや火難・水難の神子宝の神、日々の幸いをもたらす神として大切に祀っています。例祭日には陰陽石を参拝でき、参拝者には「中秋の名月」を楽しんでもらうためのススキとハギが配られます。 |
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(つじぎみ)
辻君: |
町の路地に店をもうけて売色した下級の娼婦。
古くは、路傍に立つ娼婦を「立ち君」と呼んで区別した。 |
(ごおう)
牛王: |
牛頭天王のこと。祇園社などの祭神。もと祇園精舎の守護神とも、薬師如来の化身ともいう。
疫病神で、のちには素戔嗚尊と習合されて尊崇された。 |
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今(2007年)回の交流ウォーク関連ではじめて立ち寄りました。交流ウォークの藤井先生にこちら宮島は「さいわい」と読み、草津の方は「こう」と読むのですよと教えていただきました。
この辺り、金鳥居辻に遊郭があったそうですが、厳島神社の資料では直接的な表現を避けて記述されていました。 |
2021年コロナ禍で閑散とした宮島でした。
幸神社先の“あなごめし和田”で昼食を摂る前に参拝し撮影したのでこの頁を更新しました。
2007年参拝した時に設置されていた由緒板が、新しくなってより詳しくなっていましたが、時を経て記入文字が薄くなっていましたので(間違いがあるかもしれませんが上記に)掲載しました。 |
関連頁:あなごめし和田 |
22.02.07.更新 08.01.01裕・記編集 |