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  厳島神は弘仁(811)年伊都岐嶋神が名神例四時幣にあずかると見えるのが初見だそうで後に、二神が派生した神と云われています。平安時代末期には平清盛を筆頭に平氏の信仰を受け大社の地位を確立しました。平安時代神仏習合の風潮に従い仏教的色彩を強めていきました当初習合したのは天台宗系仏教でしたが高野山など真言系へと変わり、本地仏も観世音菩薩あるいは大日如来と一定していませんでした。平氏の没落後も鎌倉幕府、室町幕府に保護され、また安芸地域に勢力を伸ばした大内氏や毛利氏も崇敬しました。しかし、厳島信仰の基盤は篤くある時期は皇室、貴族、有力武将が表に出てきましたが、どの時代も漁民や航海業者などの根強い信仰があったことは間違いないことでしょう。
室町時代になると市立てが盛んになり恵比寿や弁財天などの信仰が強まり、弁財天を厳島神社の本地とする考えも出てきました。江戸時代は浄土真宗が台頭した安芸地域でしたが、厳島は真宗の進出を拒否し、厳島神社と習合していた真言系の大聖院や大願寺が存続しました。明治元(1868)年の神仏分離令で厳島神社と両寺院の関係は絶たれましたが、神社と寺院がそれぞれが独立し現在に至っています。そして、拒否していた浄土真宗のお寺も一寺ですが創建されています。
厳島信仰は、瀬戸内海を中心に日本海側は北陸地方、太平洋側は土佐地方に広がっていたといわれていますが、平成8(1996)年世界文化遺産として登録されてからは、世界中から人々が集う島になってきたように感じるわたしは、厳島信仰は(ある意味)世界的に広がってきているのではと思っていますが。
多くの観光客が訪れる、大聖院、大願寺はともかくとして、ご住職のお話が聞けた宝寿院以外は、ご住職は他のお寺と兼務されているようで、そのお寺には常時住まわれていないように思いましたが・・・
墓苑というものがない宮島のお寺を考えるとき、信仰心というものが薄れてきている現代では(余計なことではありますが)その経営というか存続が問われているのではないのかと思わずにはおられないのですが・・・
09.02.08更新   08.11.13再編集    04.02.15裕・編集

07.12.15撮影

06.01.03.撮影

07.11.03撮影

’06.01.03.撮影
大聖院(真言宗御室派) 大願寺(真言宗高野山派) 宝寿院(真言宗御室派) 存光寺(曹洞宗)

07.11.03撮影

08.01.02撮影

07.12.15撮影

07.11.03撮影
徳寿寺(曹洞宗) 光明院(浄土宗) 真光寺(浄土真宗) (島外)
延命寺(曹洞宗)

07.11.17撮影

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07.11.03撮影

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(港町の)行者堂 神泉寺跡 称名庵(跡) (宝寿院)不動堂 (新町の)仁王門跡

08.06.14撮影

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弥山本堂 (弥山)霊火堂 (弥山)三鬼堂 (弥山)求聞持堂・行者堂 (弥山)閼伽井堂

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(弥山)大日堂 (弥山)観音堂 (弥山)文殊堂 (弥山)仁王門跡 (弥山)奥の院



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