(旧)宮島町庁舎-解体-

  廿日市市宮島町に解体もされず残っている「(旧)佐伯郡宮島町舎」です。
※2018(平成30)年度に解体されたようです。
※2021年4月3日(跡地に新築された)「宮島まちづくり交流センター」開所記念式典が行われたことを新聞報道で知りました。
現在(2015年)も残されている旧宮島町役場庁舎は1969(昭和44)年に鉄筋コンクリート造地下1階+3階建、延面積約3000uで落成しています。(3階部分は宮島観光会館だったそうです)。
宮島町役場は、2005(平成17)年廿日市市に編入された後は、廿日市市宮島支所となりましたが、耐震性が乏しいことから2008(平成20)年に閉鎖になり現在に至っています。
2010年新聞報道で改修工事ではなく解体する方針と知りましたが、2015年1月現在解体工事は行われていません。
旧宮島町役場は、(江戸時代の)宮島奉行所のあった場所に建てられました。
現在、支所は(桟橋近くの)廿日市市宮島町1165番地6に移転しています。
平成30(2018)年度、廿日市市事業計画に「旧宮島支所解体撤去・斜面安定・新築工事等」があり平成32(2020)年度の完成を目指しているといっています。
地域拠点施設整備事業債(合併特例債)充当率95%を使うことで、予算的にも大丈夫のようです。
宮島町略沿革
近世 広島藩の4町制(広島城下・三原城下・尾道・厳島)の一つの直轄地でした。
1889 明治22年4月1日 町村制施行により、佐伯郡厳島町が発足。
1950 昭和25年11月3日 厳島町から宮島町に町名変更
2005 平成17年11月3日 廿日市市に編入合併され、佐伯郡宮島町は消滅した。
2015年、桟橋横広場に2014年建立されたと聞いていた平清盛像を撮影し、解体修理が終わったと報道で知った厳島神社反橋などを撮影した後、まだ解体されていない旧宮島町庁舎を撮影しました。
それは、2008年に宮島奉行跡碑の頁を編集し、2012年に宮島町民憲章碑の頁を編集していましたが、宮島町町役場自体の頁は編集していなかったからで、解体前に撮影し編集しようと思ったからです。
宮島町町役場は、連絡船からもあれが役場とわかる建物でした。
連絡船などから(わたしが)撮影した時は、既に廿日市市宮島支所となっていましたが、(役場の建物を目的に撮影したわけではなく)いままで撮影した画像の中からみつけられたものを掲載したあと、今(2015)年撮影した画像で頁を編集することにしました。
2021年1月22日コロナ禍の中、宮島も閑散としていると聞いていたので、息子と訪ねたのです。
そのとき、厳島神社を参拝し帰るときにここ旧宮島支所にも立ち寄ったのです。
みると、新しい建物になっていたのです(下段画像)その時わたしにはわからなかったのですが、4月6日中國新聞報道で、「宮島まちづくり交流センター」であったことそして4月3日に開所式典が行われたことを知ったのでこの頁を更新しました。
21.04.06.更新   12.08.24.裕・記編集

07.10.06.撮影
廿日市市宮島町1165番地6   (連絡船からもみえます、画像中央が廿日市市宮島支所)

07.11.03.撮影
廿日市市宮島支所 と (厳島神社)五重塔 と 千畳閣の屋根

07.12.15撮影
2007年、三翁神社の向うにまだ宮島支所だった建物をみました

08.01.10.撮影

08.02.14.撮影
経の尾からみた廿日市市宮島支所

15.01.03.撮影
閉鎖になっている旧宮島町庁舎

15.01.03.撮影
(立ち入りが出来ないようにフェンスが設置されている)正面玄関部分

15.01.03.撮影

15.01.03.撮影
 
旧庁舎は解体され「宮島まちづくり交流センター」が新築されました

21.01.22.撮影
撮影した時はまだ開所していなかった「宮島まちづくり交流センター」



「建物など」編



広島ぶらり散歩へ
(旧)宮島町庁舎
 宮島奉行所跡・石碑
 (旧)宮島町憲章碑
  宮島まちづくり交流センター
   オオミゴケ〔貴重種〕


inserted by FC2 system