(観音小学校)被爆樹木・クスノキ

  西区観音本町の観音小学校にある「被爆したクスノキ」です。
ひばくじゅ木 クスノキ     A-bombed tree Camphor tree
爆心地から1,850m Approx.1850m from the hypocenter
これら3本と東側倉庫のフェンス側にある1本をあわせた4本のクスノキは、1945(昭和20)年8月6日の原ばくにもたえ、生き残ったものです。この地には当時、県立広島第二中学校があり、原ばくにより校しゃが全半かおし、鉄きんコンクリートづくりのこう堂の残がいとプールを残すのみとなりました。校内のぎせい者の数は不明ですが、当日中島新町で建物そ開にじゅう事していた1年生322人は、引そつの教しょく員4人とともに全員死ぼうしました。
広島市設置の被爆樹木の黄色標識(上画像)には爆心地より1,850mと記述していますが、(同じ広島市)市民局国際平和推進部平和推進の資料では1,800mとなっています。のでわたしが編集している被爆樹木一覧では1,800m を採用しています。
広島県立広島第二中学校略沿革 資料は観音高校の公開資料他を参考にしました
1922(大正11)年 創立。
1923(大正12)年4月 観音町(現在の観音小学校所在地に)新校舎
1945(昭和20)年8月6日 米軍による原爆投下
校舎倒壊全焼、原爆による死亡者職員7名、生徒343名
1948(昭和23)年5月 学制改革により、広島県芸陽高等学校と改称
1949(昭和24)年5月 広島県広島観音高等学校開校
1950(昭和25)年3月19日 もとの校地(西区)観音本町2-1から(現在地の西区)南観音町4-10に移転
(この地には)1950(昭和25)年8月19日広島市立観音小学校が移転しました
2005年(わたしはこの辺りはほとんどきたことがないので、地図を見て)観音小学校にたどりつきましたがこんどは正門が何処かわからずぐるっと一周しているときに被爆樹木・クスノキの黄色標識をみつけましたが、正門のインターフォンで被爆樹木を撮影したい旨を伝えました。
仕事中であろう教頭先生に案内していただき、被爆したクスノキが4本であることを教えていただきました、また学校に移植されたクロガネモチも案内していただきました。
2009年訪ねた時は学校敷地外の道路の方から撮影しました。
2011年も被爆したクスノキを校外からみたので撮影しました。
2014年のいまにになりましたが、2009年、2011年撮影の画像を加え再編集しました。
14.08.31再編集   05.12.16裕・記編集

05.12.06撮影
広島市西区観音本町2-1-26 (観音小学校舎北側)

05.12.06撮影

05.12.06撮影

05.12.06撮影
2005年は校内よりみました

09.08.06.撮影
2009年は校外の道路よりみました

11.06.04.撮影



被爆した樹木一覧」編



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(旧制県立広島第二中学校関連)
県立広島第ニ中学校慰霊碑
広島県立広島第ニ中学校創建之地・碑
  (県立二中の)被爆したクスノキ
  (移植された)被爆樹木・クロガネモチ
  (県立二中の)被爆した門柱・塀
(日赤に建立)「原爆の絵碑」9号碑


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