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安芸区上瀬野に建立されている「(大山刀鍛冶の)鍛冶場跡」碑です。
※"伝・中世の刀工大山鍛冶跡”の石碑が、2005(平成17)年2月東寒山さんによって建立されています。
※“大山刀鍛冶場跡・墓所”の説明板が、2014(平成26)年12月瀬野川流域郷土史懇談会解説で設置されました。 |
下大山に下りてきた二代目・重守から八代目・(天正)宗重までが操業した鍛冶場跡です。
現在は田圃ですが、以前発掘した処、鞴(ふいご)の筒、堆積した鉄錆(かなくそ)がでました、また井戸跡もあり、操業場所を後世に伝えるために2005(平成17)年石碑が建立されました。
大山刀は初代宗重及び二代宗重作で現存するものはなく、三代宗重の作もきわめて少なく、現存16振(*新しい説明板では21振り)が現存し、その中の一番古いものは藝州大山住宗重作康正元(1455)年九月で、一番新しいものが藝州大山住仁宗重作文禄三(1560)年だそうです。 |
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宗
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宗
重
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正
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重
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永
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住
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重
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世
ノ
刀
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大
山
鍛
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〔建武年間(14世紀中頃)〕大山初代 守安-〔貞治年間〕重守-〔応永年間〕守重-〔永享年間〕則安-〔康正年間〕宗重-〔永正年間〕宗重-〔永禄年間〕宗重-〔天正年間〕宗重 |
今回(2008年10月)の瀬野公民館主催「大山峠を歩く」は瀬野川流域郷土史懇話会の方にガイドをしていただいたのです。
この跡碑の説明もガイドの方に教えていただいた資料をもとにこの頁を編集しました。
この「伝中世ノ刀工大山鍛冶跡」碑もここに建立されていることを教えていただかなければ、住所がわかってもわたしが一人では探せなかったろうと思ったところに建立されていました。 |
大山刀鍛冶場跡・墓所 |
平成26(2014)年12月 瀬野川流域郷土史懇談会 |
-刀鍛冶場-
大山では、鉄が産出され、燃料の松・雑木が無尽蔵にあり、水も豊富で、作刀する条件が揃っていましたので、建武(1334-1338)のころ、筑前の左守安が大山峠で作刀を始めました。
二代目重守のときこの地へ移転し、八代宗重まで、約二百六十年間、作刀しました。
大山鍛冶は、中世芸州を代表する刀工で、現在東京の国立博物館に所蔵されているものをはじめ二十一振りが確認されています。
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1987(昭和62)年、鍛冶場跡の田を発掘したところ、1mくらい下から多量の酸化した鉄と木炭層、ふいごの床に溜まった鉄滓(かなくそ)、火口の筒らしきものが出ております。 |
-墓所-
六十数基の墓は、二代重守の貞治年間(1362-1368)から文禄(1592-1596)までの歴史です。
なお、初代守安の墓所は、大山峠にあります。 |
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安藝国大山住仁宗重作 天正八(1580)年二月吉日 所有者:吉本悟
長さ:70.8cm(二尺三寸三分六厘) 反り2.0cm(六分六厘) |
軍人軍馬慰霊碑を撮影に出かけようと計画したとき、
グーグルマップをみていると、旧西国街道沿い上方よりの以前撮影しこの頁を編集していた大山鍛冶場跡の説明板が設置されていたのです。
久しぶりに撮影して頁を更新するかと立ち寄ったのです。 |
23.05.15.更新 09.01.29裕・記編集 |