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安芸郡海田町畝の観音免公園内に復元されている「上安井古墳の竪穴式石室」です。
※上安井古墳は竪穴式石室をもつ円墳で、国道2号線バイパス工事に伴い発見され、
発掘調査が行われました。その後、一部が観音免公園内に移設されています。 |
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上安井古墳(竪穴式石室)復元 旧所在地:安芸郡海田町東海田字上安井 |
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平成14(2002)年3月 海田町教育委員会 |
上安井古墳は、一般国道二号(東広島バイパス)改築事業に伴い、平成11(1999)年に新たに発見された古墳で、ここから東南にみえる洞所山から北西のびる尾根を利用して、標高80mの地点に築かれていました。当時はこの付近まで海が入り込んでおり、集落や田、海を間近にひかえた立地であったと思われます。
平成12(2000)年に行われた発掘調査の結果、この古墳は13.5m×15mの円墳で、墳丘頂部の中央に中心となる竪穴式石室が一基、その西側に土壙墓が一基、墳丘の北西斜面に土壙墓が二基、計四基の埋葬施設が確認されました。
竪穴石室からは、土師器二点(壺・甕)、鉄器七点(鉄鏃。鉄剣・鉄斧・鉇・鋤先・鎌)、玉類二点(管玉。ガラス小玉)が出土し、その様式から古墳時代前期前半に造られた古墳であることがわかりました。木棺におさめられ、多くの副葬品とともに葬られたこの人物は、この地域の有力者であったと考えられます。
広島県内では竪穴式石室に土器を副葬した前例はなく、前期古墳時代の発掘調査例も少ないことから上安井古墳は当時の社会や墓制を解き明かす上で貴重な存在であり、海田町の重要な遺跡としてここに移設復元しました。 |
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土壙墓(どこうぼ) |
土中に穴を掘っただけの墓。 |
土師器(はじき) |
古墳時代から奈良・平安時代にかけて用いられた素焼き土器の総称。
赤色の素焼きで文様はない。 |
鉇(やりがんな) |
木材の表面を削り仕上げる工具。
断面が浅い三角状の槍の穂先に似た刃を木柄につけたもの。 |
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ここ(海田町)観音免公園内に移設され保存されることがベストではないにしても、こうして保存されることは未来の子どもたちに故郷を大切にしようというメッセージになるのではとわたしは思うのです。 |
2014年にも撮影していましたので、2017年のいまになりましたが、説明板の画像も利用してこの頁を再編集しました。 |
17.02.10.再編集 03.02.13裕・記編集 |