(中山)稲生神社
  東区中山東に鎮座している「(中山)稲生神社」です。
祭神: 土産(うぶすな)之大神、大宮能賣(おおみやのめの)神、宇迦之御魂神、太田命、大穴牟遲(おおなむちの)神、事代主神
1815(文化12)年の「國郡誌御編集に付下しらべ書出帳」によれば創建の年は詳らかでないとあります。1800(寛政12)年再建されたとの記録があります、1877(明治10)年現在の萬休寺の上陵あたりから現在地に遷座されました。
1910(明治43)年大原神社、新宮神社、東城神社及び石津神社が合祀されましたが大原神社は1925(大正14)年西垣地(下組)に遷座されました。
        -設置の説明板の中に稲生神社創建の記の他、次のものがありました。-
(現在広島市立)中山小学校(1901-1904:山中兼太郎校長からの)歴代校長紹介があります。
*1874(明治7)年旭照舎(萬休寺内に)創立。1886年中山小学校、新校舎。1901(明治34)年中山村下村に移転。
また、中山村初代村長(1891-1909)吉川吉次郎から第9代岡野忠夫(1947-1956)までの紹介があります。
*1889(明治22)年町村制により安芸郡中山村が設置され、1965(昭和31)年4月1日広島市に編入されました。
*1873(明治6)年〜1878年まで初代戸長石井重政にはじまり、4代戸長(1883-1891)浜本正蕃が務めています。
説明板の中に中山小学校校長、中山村歴代村長などの資料の展示があり、また1913(大正2)年中山村東組り同改修記念石碑、大正天皇即位記念鳥居、盃状穴があったと思う手水鉢などをみました。
1877(明治10)年この地に遷座となった神社境内地としては新しいのですが興味深いものがありました。
ここ数年、JR芸備線に広島駅から戸坂駅まで乗車し、窓外を眺めているとこの神社に行く石段が目に入り、地図をみると稲生神社だったので、機会があったら参拝しようと思っていたのです。
なかなか機会はありませんでしたが、2012年になってJR矢賀駅から覚法寺、矢賀熊野神社、男崎神社と歩いてみましたので、(引き返すことなく)ここ稲生神社まで足を延ばしたのです。さすがにここから上り坂になりますので戸坂駅までは徒歩とせず(本数が多い)バスで中山峠まで行きました。
 12.07.27.裕・記編集

12.03.22撮影
広島市東区中山東1-7-30

12.03.22撮影

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12.03.22撮影

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12.03.22撮影

12.03.22撮影

12.03.22撮影
中山村東組里道改修・記念碑 大正天皇即位記念鳥居 埋め戻された盃状穴 現在の中山地区、温品地区をみる



「道標など」編



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(中山)稲生神社
  中山村東組り同改修記念石柱
  大正天皇即位記念鳥居
  埋め戻された盃状穴がある手水鉢
  高所からみる中山地区、温品地区


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