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安芸郡府中町宮の森の多家神社に移設されている「宝蔵」です。
※もともとは、広島城三の丸稲荷社の社殿だったのです。 |
広島県重要文化財 昭和29(1954)年4月23日指定。この宝蔵は明治7(1874)年の多家神社創建に際して移築された広島城三の丸稲荷社の社殿の1棟です。 |
校倉造と呼ばれる建築様式で、太い材木(校木あぜぎ)を四方に組上げて壁とする建築方法です。
柱はなく壁が桧皮葺の屋根を支えており通気性がよく宝物の保存に適しています。一般的な校倉造では組上げる校木に三角形に近い五角形の材を使うが、ここの校倉は四角形に近い六角形の材を用いています。これは「信貴山縁起絵巻(国宝)」に描かれているものと同じですが、現存する校倉では外に例がありません。江戸時代後期の校倉の好例であるといえます。この宝蔵は、収蔵されている神輿や校木形状の希少性だけでなく現存する数少ない広島城の建築物としても重要です。 府中町教育委員会 |
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広島県文化百選(建物編)に選ばれているこの多家神社宝蔵を訪ねてみようと思ったがはじまりでしたが、お参り後、境内を回っているときに神武天皇の碑、幼年学校の碑などをみて撮影しました。 |
06.06.29裕・記編集 |