吉田正浪作:河村郷四先生之像

  安佐南区伴東の広陵高等学校に建立されている吉田正浪作「河村郷四先生之像」です。
広陵高等学校の正門を入ってすぐその根際に三基の胸像が建立されています。
校門の方から「鶴虎太郎先生之像」、中央に「田中イト女史之像」、そして「河村郷四先生之像」です。
この頁では「河村郷四先生之像」を取り上げています。像の作者はサインから吉田正浪ということがわかりました
  河村郷四先生は、昭和30(1955)年に広陵学園の監事、昭和38(1963)年に評議員・理事、後昭和42(1967)年に理事長に選任される。
永年住み慣れた宇品の地は、教育環境が悪化し移転問題は緊急にして重要な課題であった。
かかる時、卓越せる識見と強い情熱をもって、精力的にこの難問に取りくまれ、昭和48(1973)年に学園史に永久に残る広大なスケールの沼田移転の大事業を完遂された。
また広陵幼稚園・芸北文化ランドの開設も特筆すべきことである。
このように、理事長として果たされた偉大な功績はまさに中興の祖と呼ぶにふさわしいものである。
ここに沼田移転10周年の記念とすべき歳に、胸像を建立して、その偉業を永く後世に伝えんとす。
  昭和58(1983)年2月5日    河村先生の胸像を建立する会 
河村郷四先生略歴
1927(昭和2)年芸備銀行(後・広島銀行)入行。東洋工業専務。1964(昭和39)年12月広島商工会会頭。1968(昭和43)年10月広島テレビ社長。1985(昭和)60年3月28日死去享年82歳、勲三等旭日中授章。
2015年久しぶりに訪ねた時、2006年には目がいかなかった、玄関ホールに展示されている各種の優勝カップ、優勝盾などや、校舎前庭に建立されている全国野球大会の優勝碑、校門横に建立されている三基の胸像などに目が行き、撮影しました。
この頁では、河村郷四先生の胸像を取り上げました。
河村先生についてわたしは知りませんでしたので、NET検索でヒットした略歴を記してみました。
 15.11.13.裕・記編集

15.11.04.撮影
広島市安佐南区沼田町伴4754  (学校法人広陵学園・広陵高等学校)

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影




野外彫刻など」編



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「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」広陵学園
 
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