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安佐南区・伴東に開校している「広陵高等学校」をこの頁では取り上げました。 |
広陵高校のewb siteを見ると学校を次のように紹介しています。
■校訓:「質実剛健」
■建学の精神:「教育は愛なり」
■広陵高校が果たすべき役割:「高い志を持ち、自らの夢や目標に向かってチャレンジする生徒を育て、
地域社会・国際社会に貢献する有為な人物を育成する。」
■校名の由来:校名の「広陵」は漢代に長江北岸に位置した呉王の王都(みやこ)「広陵」に由来を持っています。
その風光明媚な王都の文化に強い憧憬を持つ江戸時代の漢詩人たちが立地条件の類似性から、
水の都広島を「広陵」と呼ぶようになったと言われています。開学の祖鶴虎太郎先生が、
本校が広島において文化の香り高い第一等の学校になることを願い
明治34(1901)年に校名を「広陵」と名づけました。 |
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広陵学園概要沿革 |
1896 |
明治29年2月 |
数理学会を広島市袋町80番地に鶴虎太郎設立 |
1898 |
明治31年4月 |
数理学会を究数学院と改称 |
1901 |
明治34年5月 |
私立広陵中学と改称 |
1905 |
明治38年3月 |
竹屋村に新築移転 |
1921 |
大正10年3月 |
設立者田中イト他3名による財団法人広陵中学校設立認可 |
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大正10年4月 |
宇品町千田公園隣接地に新校舎竣工、生徒数735名 |
1945 |
昭和20年8月6日 |
原子爆弾で講堂及び教室一棟倒壊 |
1948 |
昭和23年5月 |
学制改革により広陵高等学校(全日制普通科)を開設 |
1951 |
昭和26年3月 |
私立学校法の制定により学校法人広陵学園発足 |
1973 |
昭和48年4月 |
広陵高等学校、沼田町新校舎に全面移転 |
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資料は広陵学園の資料を参考にしました |
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2006年「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の2号碑の根際に、その2号碑建立趣旨を記した碑(碑文)が設置されていました。その碑に学園が南区宇品にあった当時の写真がありましたので広陵高校(旧宇品校舎)の頁を編集しました(別頁)。 |
2015年久しぶりに訪ねた時、2006年には目がいかなかった、玄関ホールに展示されている各種の優勝カップ、優勝盾などや、校舎前庭に建立されている全国野球大会の優勝碑、校門横に建立されている三基の胸像などに目が行き、撮影しました。 |
ここでは、玄関ホール、3階建ての校舎でも耐震補強するのだなと近づいているときに見た校訓「質実剛健」が刻まれた石碑。大正期の第3回選抜全国野球大会優勝碑、軟式野球でも全国制覇した時の優勝碑を取り上げました。
野球強豪校ですので、まだまだ優勝碑がありましたが撮影紹介は、広陵高校関係者に任せることにし、広陵高校のほんの一部の紹介にしかなりませんがこの頁を編集しました。
そして、宇品旧校舎、三基の胸像は別頁で編集することにしました。 |
15.11.10.裕・記編集 |