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中区国泰寺町の広島市役所前庭に植えられている“長崎・広島原爆都市青年交歓会記念植樹”のバラです。
※このバラは、永井隆博士邸に植えられていたバラだそうです。 |
「昭和二十四(1949)年十一月十二日、広島市で原爆都市青年交歓会を開き、反戦と反核のために立ち上ることを決意したそうです。」
その時の記念として植樹されたバラだそうです。 |
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長崎・広島原爆都市青年交歓会 |
記念植樹 |
長崎 永井隆博士邸 バラ |
昭和24(1949)年11月20日 |
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1949(昭和24)年11月永井隆博士が「広島市民がバラのように美しく幸福に送れるように」との願いを込め自宅庭のバラ1株を寄贈されました。
そのバラは、広島市役所庁舎前庭に植えられました。 |
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「広島・長崎青年交歓記念碑(1)」は、(当初)1986(昭和61)年8月15日市役所庁舎前に建立されました。
1988(昭和63)年3月24日に平和大通り大手町の緑地帯に移設され、その時、永井博士から贈られたバラは市役所前庭に残されました。
「広島・長崎青年交歓記念碑(1)」根際に植えられたバラは、新たに永井博士宅にあった「バラの子孫」を分与されたものだそうです。 |
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(広島)市役所の被爆した桜、今(2009)年も元気かなと3月はじめ立ち寄ったのです。
何度もみている旧・市役所で被爆した南側の桜でしたが、その根際に『長崎・永井隆博士邸・バラ』が植栽されていることに(いままで万然としているわたしは)気付かなかったのですが、今(2009)年はじめてこの標識に気が付き撮影したのです。
昭和24(1949)年からすると60年も経った薔薇の蔓とは思えないぼど弱々しいバラでした。しかし、薔薇の咲く季節には早いと思いバラが咲いた時に再び訪ねてみようとその時は思ったのです。 |
福山市のバラ祭りのニュースが盛んに流されていた、5月16日(土)に薔薇の咲く季節なのだと立寄って撮影したのです。残念ながらその花数も僅かで、閉庁している土曜というものの見に来る人はおられないバラでした。
わたしにはどうすることもできませんが天国の永井博士に今(2009)年も咲いていましたよと小声で報告しましたが。 |
2015年(被爆70年ですので)いままで編集している「原爆関連慰霊碑」「平和祈念碑」の頁を少しづつでも更新できたらと撮影していますので、このバラも撮影しました。ただ、バラの花咲く季節には早過ぎました。 |
15.04.01更新 09.05.19裕・記編集 |