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広島市安芸区瀬野のJR瀬野駅北側広場に移設されていた「第六期運転無事故記念・碑」です。
*(2006年にはなかった)この碑がいまの位置に移されていましたので分離独立しました。
※昭和29(1954)年3月(第6期での)建立なので、昭和24(1949)年が第一期ですね。 |
正面: |
昭和廿九年三月建之
第六期運転無事故記念
瀬野機関区 |
左側面: |
庭園師 横田 仲五郎〔槇田さんかも?〕
四代区長 志田原 清一 |
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瀬野機関区は、セノハチと呼ばれる急勾配の区間があるので、年間無事故であったのはこの機関区に携わる人たちの努力が実ったことへの記念碑だったのだろうと(わたしは)思っています。 |
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瀬野機関区の歴史 |
開設: |
1894(明治27)6月10日山陽本線、糸崎〜広島間開通、瀬野駅開業となり、同時に隣接して瀬野機関車駐泊所が設置されました。 |
廃止: |
1987(昭和62)年3月15日山陽本線の輸送の変化、減少に伴い昭和60年3月瀬野派出所と変更され、昭和62年3月15日に廃止されました。 |
瀬野機関区は、山陽本線上り瀬野〜八本松間10.6kmが当時「西の凾嶺(にしのはこね)」と呼ばれ急勾配区間で列車の最後部に後押し機関車(補助機関車)を1両又は2両連結して運転され、蒸気機関車時代から電化電気機関車まで一貫して後押し専用の機関区として活躍し、全国でも数少ない特殊な機関区でありました。 |
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1894 |
明治27年6月10日 |
山陽鉄道会社三原(現:糸崎)-広島間開通当時は瀬野駅、海田市駅が開業 |
瀬野機関車駐泊所開設 |
1895 |
明治28年4月4日 |
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八本松駅開業 |
1901 |
明治34年5月27日 |
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神戸-馬関(現:下関)山陽本線全通 |
1903 |
明治36年12月 |
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海田市-広島間複線化 |
1912 |
明治45年11月20日 |
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八本松-瀬野間に上瀬野信号所開設 |
1920 |
大正9年8月15日 |
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安芸中野駅開業 |
1922 |
大正11年11月20日 |
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瀬野-安芸中野間複線化 |
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大正11年11月30日 |
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西条-八本松間複線化 |
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大正11年12月16日 |
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安芸中野-海田市間複線化 |
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大正11年12月16日 |
山陽本線瀬野-海田市間複線開通 |
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1923 |
大正12年3月30日 |
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八本松-瀬野間複線化 |
1936 |
昭和11年9月 |
広島機関区瀬野支区 |
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1946 |
昭和21年4月 |
瀬野機関区に昇格 |
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1895 |
昭和60年3月 |
瀬野派出所になる |
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1987 |
昭和62年3月15日 |
瀬野派出所廃止 |
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昭和62年4月1日 |
国鉄が分割民営化、各JR各社発足 |
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2018年この「瀬野機関区記念碑」をみたとき、2006年撮影当時になかった碑があることに気が付いたのです。
近づき見ると「第六期運転無事故記念・碑」(昭和29年)とありましたので、どこか別の場所に建立されていた碑をここ併設したのだとわかりましたので、「瀬野機関区記念碑」の頁の中に編集していましたが、今(2023年)回も撮影したので、分離独立したこの頁を編集しました。 |
23.11.09.分離独立 06.03.23裕・記編集 |