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三原市城町の内港東公園に展示されている「やっさ踊り・像」です。
*わたしには作者がわかりませんので、ご存知の方のご教授をお待ちしています。 |
やっさ踊りの由来 昭和55(1980)年4月 日本セメント株式会社製作 |
源頼朝(1147-1199)の重臣土肥実平、小早川遠平(?-1237)父子は惣追捕使としてこの地に西下し以来四百年にわたり小早川氏の沼田川流域繁栄の基をつくりました。永禄10(1567)年十七代小早川隆景(1533-1597)は三原湾に浮かぶ島々を連ねて名城三原城を築きました。
この城落成の祝いに酒に酔った人びとが老若男女を問わず「ヤッサ ヤッサ」と踊り狂ったことから「やっさ踊り」というようになりました。
歌詞は即興で踊りは游行上人のひろめた念仏踊りの流れを素朴に継承していますが時代と共に地唄はやり唄などの影響をうけ踊りの身なりも変化して三味線かね太鼓笛なそのリズムに乗った自由奔放な踊りとなり宴の席や精霊供養のため踊りつがれて現在に至り、いまでは市民の心意気を代表する踊りとして年々盛大になってきています。 |
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今(2012)年10月「鉄道の日記念・JR西日本一日乗り放題きっぷ」@3,000円で(広島)県内のJR駅舎(わたしが撮影していない駅)を撮影することにしたのです。
ここ三原駅は2009年に撮影して頁を編集していましたので、山陽本線下り電車で12時21分着してから呉線12時53分発の電車に乗り換える間に、三原の町をぶらり散歩することにしたのです。 |
JR三原駅から記念碑などが建立されているだろうから三原市役所にマリンロードを通り国道2号線の所に来た時、この像が見えましたので、地下歩道を通って2号線を渡ってこの像「やっさ踊り・像」を撮影しました。台座にやっさ踊りの由来板が取り付けられておりました。。また、作者のサインがあり“富三郎”1980(昭和55)年5月作ということがわかりましたが、苗字が分からないままでした。 |
12.11.12.裕・記編集 |