ほうげんじ
鳳源寺
  広島県三次市三次町に創建されている「比熊山 鳳源禅寺」です。
鳳源寺は、臨済宗 妙心寺派のお寺で、本尊は薬師如来です。
三次藩初代藩主浅野長治が寛永9(1632)年広島浅野藩から五万石を分封された翌(寛永10)年に萬室慈眼常光禅師を開山として建立されました。
寺号「鳳源寺」は長治によって命名され本堂内の「鳳源寺」の額は長治の筆によります。五世和尚の頃まで禅堂があり修行道場でもありました、本堂の外正面の「選佛場」という額は、当時の禅堂にかけてあったものです。庫裡裏の井戸は、開山当時の修行僧によって掘られたもので「菩薩泉」といいます。
1898(明治31)年4月県立第三尋常中学校は、本堂を仮校舎として開校しました。
※鳳源寺の資料は、三次市産業部観光商工課観光交流係K氏に教えていただきました
昨(2008)年交流ウォーク増田義法先生にこの鳳源寺に連れて来ていただいたのですが、あの大石手植えの桜があることを「義士堂」の頁を編集している時に知ったと話をしたら、桜が咲いた頃に行こうと云ってくださったので今(2009年4月)回も増田先生のお世話になりました。満開の桜も観て撮影したのですが、デジカメの露出ボタンを何かの拍子に動かしたのでしょう、撮影画像が白っぽくなり撮影失敗しました。
2019年4月26日開館した三次もののけミュージアムに行ったとき、駐車場がいっぱいで、尾関山公園駐車場へ止めてくれと指示され止めたのです。
見学後帰りの途中、立ち寄りお参りしました。その時稲荷神社の祠に気付いたのです。その横に(取り替えられた)鬼瓦が記念として展示されていましたので、撮影し下段に追加しました。
19.05.15.更新  09.04.16裕・記編集

09.04.07.撮影
広島県三次市三次町1057

09.04.07.撮影

09.04.07.撮影
「選佛場」額は初期の頃は禅堂に掛けてあった 本堂内の寺号額「鳳源寺」は浅野長治筆

09.04.07.撮影
本堂内部

19.05.01.撮影
稲荷大明神       (屋根吹替時の)以前の鬼瓦
稲荷大明神には説明板がありましたが、説明文が消えかかりよく読めませんでしたが、
明治になって1873(明治6)年浅野屋敷から遷座されたようです?

19.05.01.撮影

19.05.01.撮影
(取り換えられた)鬼瓦  家紋:違い鷹の羽 (現在)の鬼瓦は鳥衾があります
残されている鬼瓦が何時のものか説明板がないのでわかりませんが(創建の1633年のものではないと思いますが)、江戸時代のものでしょうか。ただ残された鬼瓦の部分に鳥衾がつけられていた跡は見当たらないようでした。
鳥衾(とりぶすま)≒鬼瓦に鳥が止まったり、糞をかけたりしないように、鳥が止まる場所とも云われています。



「広島の神社寺院」編


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