であいしみず
出合清水
  安芸郡府中町石井城にある「出合清水」です。
※以前は、今出川(湧水)と誤称されていました。
昨(2012)年10月中旬、中國新聞の記事に、
『「名水百選」府中の湧き水、出合清水は実は今出川だった。府中町史に誤記があり案内板訂正へ・・・』
とあり
『府中町文化財保護審議会会長の島根県立大名誉教授・横田禎昭さんが各種資料を調べ、7月に審議会が開催された時、7人の委員全員で資料を検討した結果、(名称)取り違えを確認し、府中町長に報告した。・・・・11月17日に住民説明会も開く。』
とありました。
この頁は2012年3月編集しましたが、上記のように誤称されていたことが分かったという事で、この頁はそのままにして、新たに「出合清水」の頁を編集します。
1969(昭和44)年“広報ふちゅう”や“安芸府中町史”に出合清水と今出川湧水とを間違ったまま掲載した事で、誤称が広まったそうです。
原因は不明と住民説明会の資料にありましたが、当時の広報ふちゅう及び町史編集(編纂)者が誤り、編集(編纂)長、そして教育委員会文化財担当者などのチェック体制がなかったことが第一義の原因だったのではとわたしは思います。
以前の位置では、“今出川湧水”としていましたが、ここでは“出合清水”に(わたしは)しました。
この湧水は、府中町の名勝水分峡(みくまりきょう)を源として、この地に湧き出てきたもので、近くには総社跡や田所屋敷跡があり、神聖な水として神饌に供えられ、また住民の生活用水としても昔から大切に使われたものです。たびたびの水害で埋没した事もありましたが、その都度住民の協力で堀り返し、湧水としてよみがえりました。この湧水のもとには大きな岩盤があり、それが洗い場の役目をしていました。
芸藩通志に古歌として「あきの国 出合の清水 鷲の森 阿弥陀がみねに いつくしま山」と詠まれています。

現在の府中町教育委員会説明板
2012年6月訪ねた時、家人が居られ、湧水の上に被せてある鉄板蓋を取って中を覗けますよと声を掛けていただきましたので、中をみました。涌水と云われているように今でも湧水があり、庭木などへの水遣りなどに(いまも)利用しているということでした。
2013年2月2日府中町歴史民俗資料館に立寄った後、ここ今出川湧水(正式には出合清水)にも行ってみましたが、ここも以前の説明板のままでした。
新しい説明板で再編集しようと思っていましたが、説明板は旧のままでしたので、いま設置してある(誤称の)説明板を出合清水に名称を訂正したりしました。2013年2月撮影の画像を追加し編集しました。
13.03.12裕・記編集

13.02.02.撮影
広島県安芸郡府中町石井城1-9

11.10.01.撮影

11.10.01.撮影

12.06.02.撮影

12.06.02.撮影

11.10.01.撮影

11.10.01.撮影

13.02.02.撮影



「水関連」編



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出合清水・今出川湧水の誤称
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  (出合清水と誤称時代
出合清水
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「(安芸郡)府中町」編


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