(毘沙門天堂)原爆犠牲者慰霊多宝塔
  安佐南区緑井の権現山中腹に1984(昭和59)年創建された「毘沙門堂多宝塔」です。
 * 緑井、八木、川内地区の原爆犠牲者はおよそ400名といわれ、また被爆後この地区まで逃げのびたものの息絶えた市民も多くおられたということで、原爆犠牲者を供養するための多宝塔を建立しようという声が1953(昭和28)年頃からあがり、その為の浄財も寄せられていったそうです。
1983(昭和58)年春、毘沙門天堂建設委員会を組織し、同年12月完成を目指して多宝塔工事が着工し、1984(昭和59)年1月建立したと刻まれた碑でわかりました。
多宝塔は、高さ:13.5mの鉄筋コンクリート造で三重の塔になっています。
1階は、礼拝堂で、印度産石材に「慰霊」と刻まれた原爆犠牲者慰霊碑で中には過去帳が収められているそうです。その背後の壁には、仏教詩人・坂村真民の「念ずれば花ひらく」の揮毫が刻まれています。
2階は、持國天(東)、多聞天(北)、広目天(西)、増長天(南)の立像が安置されています。
3階は、此の多宝塔の本尊として大日如来座像が爆心地方向に安置されています。
だいにち
   にょらい

大日如来
音写は摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな)。光明遍照とも訳す。真言密教の教主。
宇宙の実相を仏格化した根本仏。像は宝冠をつけ結髪した菩薩形に表される。
曼荼羅(まんだら)では主座を占め、智の面を示す金剛界では智拳印(ちけんいん)、理の面を示す胎蔵界では法界定印(ほっかいじょういん)を結ぶ。
以前資料で、境内に原爆死没者慰霊塔として建立されている多宝塔がある事を知ったので、訪ねなくてはと思っていたのです。交流ウォーク増田先生が近くに住んで居られますので、案内しましょうと云って下さっていたのです。2011年になりましたが、夏の暑い中案内していただけることになり、ここ毘沙門堂をお参りした後、本堂根際から少しばかり登ってこの多宝塔にたどり着きました。
塔内、2階の四天王像は増長天が逆光で巧く撮影できていませんが、下に掲載しました。しかし、3階のご本尊・大日如来像が腕の問題で巧く撮影(右上)できませんでした。
2014年(平成26年)8月20日に安佐北区や安佐南区などを襲った大規模な土砂災害で、毘沙門堂本堂が被災しているところをTVニュース・新聞報道などで見聞きしていました(ので)。
ここで取り上げた多宝塔は大丈夫だったのだろうかと思っていたのです。交流ウォーク増田先生が今(2015)年2月の毘沙門天祭に行かれた時『毘沙門堂は大きな被害で大修理がおこなわれいたが、多宝塔には水害の被害はなっかったようです。』と云われたので少なくとも無事だったことを知ったのです。
11月になって乗ったアストラムライン車内から権現山の方をみました。最近ひどくなってきたカスミ目でわたしはよくわからなかったのですが、デジカメの方は小さくともこの多宝塔が無事であったところをとらえていました。画像を加えこの頁を更新しました。
15.11.05.更新   11.09.14.裕・記編集

11.08.08撮影
広島市安佐南区緑井町 (権現山中腹)

11.08.08撮影

11.08.08撮影

11.08.08撮影

11.08.08撮影
一階の礼拝堂

11.08.08撮影

11.08.08撮影

11.08.08撮影

11.08.08撮影

15.11.04.影
(アストラムライン毘沙門台駅をでて大町駅に行く途中)手前鉄塔の右奥

15.11.04.影
(三層の塔が無事だということをデジカメがとらえていました)



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編




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