平山神社 (旧称:平山八幡宮)

  安芸区上瀬野町に鎮座している「平山神社」です。
祭神:帯中津日子命(仲哀天皇)、品陀和気命(応神天皇)、息長帯日売命(神功皇后)、宗像三女神
由緒:武田長門が宇佐八幡宮より平山山に城の守護神として勧請したと伝えられ、後に上瀬野の氏神となりました。1635(寛永12)年、1741(寛保元)年に本殿再建、1820(文政3)年に拝殿などを造営しました。
もと大山氏輔呂(上瀬野町大山)に鎮座した大山姫宮(姫の宮)は806(大同元)年の創祀と伝えられ、八幡宮勧請の際に合祀された事が、1683(天和3)年の社記に記されています。
2005(平成17)年神楽殿が建設され、2006年参拝した時、境内の(法面)整備工事が行われていました。
安芸区まちづくり推進課が作成した『あきく魅力まっぷ』では、1683(天和3)年に、武田長門なる者が(大分県の)宇佐八幡宮から分神創建された。とあり、訪ね参拝してみようと思ったのです。
宇佐八幡宮(宇佐神宮)の祭神は応神天皇ですのでここ平山神社も応神天皇が祭神かと思うのです(後日広島県神社誌で祭神がわかりました)
また、806(大同元)年開基の大山姫宮を合祀しているそうです。
旧上瀬野村一貫田は、中世の世能庄の中心で鎮守・平山神社の麓に発展したと聞きます。近世には、西条・四日市宿と海田市宿との中継地の間宿で、本陣が置かれたそうです。
2014年になりましたが、広島県神社誌をみていると、「あきく魅力まっぷ」でいっている創建の年代とに違いがありましたので、追記しました。
関連頁:大山姫宮跡
境内には1925(大正14)年建立の忠魂碑があり、碑裏面には日清、日露戦争から原爆で亡くなった方々のお名前を追記しながらでしょう刻み込まれていました。この忠魂碑と対をなす、『戰役記念碑』が龍善寺に建立されています。
2015年被爆70年に訪ねることができなかったので、2017年になりましたが訪ね頭を垂れ撮影しました。
今まで気付かなかった「古谷來次君頌徳碑」「平成御大典記念社名碑」に気付き、奉納された江戸時代の絵馬等をみましたので撮影しました。
神社自体も改めて撮影しましたので、画像を追加してこの頁を再編集しました。
17.01.31.再編集   06.03.10裕・記編集
   関連頁:龍善寺    (間宿)旧・上瀬野一貫田宿   (上瀬野一貫田の)種田山頭火句碑

06.02.22..撮影
広島市安芸区上瀬野町2987

06.02.22..撮影

06.02.22..撮影
(法面の工事が行われていました)

06.02.22..撮影
石段から社殿(拝殿)をみました

06.02.22..撮影
(拝殿、幣殿から本殿をみました)

06.02.22..撮影

17.01.13..撮影
本殿:1741(寛保元)年再建。三間社流造り(間口三間半、奥行三間)、屋根・銅板葺き

17.01.13..撮影
(参拝後上ってきた参道をみました)

06.02.22.撮影

17.01.13..撮影

17.01.13..撮影

06.02.22..撮影

06.02.22..撮影
上瀬野村忠魂碑 (境内社)稲荷神社 古谷來次君頌徳碑 御大典記念社名碑 奉納の絵馬
17.01.31.再編集 17.01.26.編集 17.01.27.編集 17.01.27.編集 未編集



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