広島東洋カープ・年度別成績

  この頁では、「広島東洋カープ・年度別成績」などを取り上げました。
職業野球というもの優勝という栄光を求めて闘う(戦う)ものでしょう。
他球団と戦うために監督は自球団の個々の選手の能力を把握し、その能力を引出し、戦略を駆使してチームを勝利に導く役割がある事はわたしごときが云うまでもないことでしょう(し)。
球団オーナーは、(ない袖は振れぬなどと云わずに、金がないなら種々の方法で鐘集め、金を惜しむことなく)チーム欠陥部分に優秀選手を引き抜いてくるなどの努力なしには、強い球団にはならないのは自明の理でしょう。
今(2023)年シーズンは、職業野球も新型ウィルス流行がら脱したシーズンになりそうだとわたしは期待しています。
監督を変えただけで、選手の補強(や打てる外国選手)にはお金をつぎ込まない(親から株を引継いだだけの)オーナーなので、心配事は尽きないのですが、少しでも次の希望が見える戦いを繰り広げていただきたいと思っています。
(カープ関係以外の)野球解説者の大半が、ドベか5位予想をしていますが、そこまで弱くなっているチームではないとわたしは思っていますが三連敗ではじまったシーズンでした。
しかし、はつらつとした新監督のもとがんばり、シーズン早々失望するパ・リーグとの交流戦もそこそこの成績をことしは残しました。
ひよっとするとひょっとすると思った処で、勝てなくなり阪神に11.5ゲームも離されたいうものの堂々たる2位になりました。
CSファーストシリーズでは、地元の大声援で、横浜を2連勝で退けましたが、阪神には残念ながら3連敗で敗退しましたが、来期の大きな飛躍が期待できるシーズンだったとわたしは思っています。
23.11.24.更新   04.09.12裕・編集
年度 -年 順位 監  督 勝-敗-分 勝率     備考  (キャッチフレーズ)
2024 令和6 - 新井 貴浩 - - 「しゃ!」勝者になるという強い意志と、「がむしゃら」に戦う決意を込めたとか
2023 令和5 2 新井 貴浩 74-65-4 .532 「がががが が むしゃら」 頭脳を使った本来の機動力野球を
2022 令和4 5 佐々岡真司 66-74-3 .481 「ガツガツGUTS!」 コロナ禍は全チーム同じですから
2021 令和3 4 佐々岡真司 63-68-12 .481 「バリバリバリ〔「もの凄い/とても」等の意味〕
2020 令和2 5 佐々岡真司 52-56-12 .481 「たった今 このAKAの子 舞いたった」 コロナ禍で120試合
2019 令和元 4 緒方 孝市 70-70-3 .500 「水金地火木ドッテンカープ」   (10/2 緒方監督辞任)
2018 平成30 1 緒方 孝市 82-59-2 .582 「℃℃℃(ドドドォー!!!)」※9月26日リーグ三連覇
2017 平成29 1 緒方 孝市 88-51-4 .633 「カ舞吼!−Kabuku−」、9月18日リーグ連覇、球団史上最高勝率
2016 平成28 1 緒方 孝市 89-52-2 .631 「真赤激(まっかげき)」::「Burn it up!(バーンイットアップ)」
2015 平成27 4 緒方 孝市 69-71-3 .493 「常昇魂(じょうしょうだましい)」:「RED RISING」
2014 平成26 3 野村謙二郎 74-68-2 .521 「赤道直火(せきどうちょっか)」:「赤く、熱く、真直ぐに。」
2013 平成25 3 野村謙二郎 69-72-3 .489 剣砥挑来(けんどちょうらい : Rallying to attack! )
2012 平成24 4 野村謙二郎 61-71-12 .462 「破天荒」  サブフレーズ「GROUND BREAKERS(前人未踏)」
2011 平成23 5 野村謙二郎 60-76-8 .441 STRIKIN’BACK!逆襲
2010 平成22 5 野村謙二郎 58-84-2 .408 「We're Gonna Win 俺たちは勝つ」   
2009 平成21 5 マーティー・
ブラウン
65-75-4 .464 「ALL-IN」烈(※さらに烈しく闘いますということだそうです)
2008 平成20 4 マーティー・
ブラウン
69-70-5 .496     
2007 平成19 5 マーティー・
ブラウン
60-82-2 .423    
2006 平成18 5 マーティー・
ブラウン
62-79-5 .440 「ALL-IN」
ブラウン監督みずからの発案「チームもフロントもファンも、全ての人が、ひとつの目標(優勝)を成し遂げるためにひとつの方向に向かう」という意味だそうです。
2005 平成17 6 山本 浩二 58-84-4 .408 REBORN TO WIN'05 赤ヘル再生
∵七年連続のBクラスを打破し、強い赤ヘルにうまれ変わりませんでした。
2004 平成16 山本 浩二 60-77-1 .438 WILL TO VICTORY 勝利への意欲
2003 平成15 山本 浩二 67-71-2 .486 Rising HEART 高ぶる心で
2002 平成14 山本 浩二 64-72-4 .471 Red Power ~燃えろ!
松田耕平が死去。松田元(1951- )がオーナー就任。
2001 平成13 山本 浩二 68-65-7 .511 Red Attack ~攻めろ!
2000 平成12 達川 晃豊 65-70-1 .481 START FROM ZERO ZERO(ゼロゼロからの出発)
1999 平成11 達川 晃豊 57-78-0 .422 Yes,We Can(俺たちはやれる)
1998 平成10 三村 敏之 60-75-0 .444 TENGA CONFIANZA(己を信じて)
1997 平成09 三村 敏之 66-69-0 .489 REALIZAR SUENO(夢の実現)
1996 平成08 三村 敏之 71-59-0 .546 TOTAL BASEBALLⅢ OVER THE TOP(頂点を極めろ)
1995 平成07 三村 敏之 74-56-1 .569 TOTAL BASEBALLⅡ FORWARD (前進あるのみ)
1994 平成06 三村 敏之 66-64-0 .508 TOTAL BASEBALL(総合野球)
1993 平成05 山本 浩二 53-77-1 .408 RED CHARGE(赤ヘルの進撃)
1992 平成04 山本 浩二 66-64-0 .508 VALUE OF VICTORY(価値ある勝利)
1991 平成03 山本 浩二 74-56-2 .569 六度目のセ・リーグ優勝  WILL TO VICTORY(勝利への意欲)
1990 平成02 山本 浩二 66-64-2 .508 ドミニカ共和国に野球学校『アカデミー・オブ・ベースボール』開校。
1989 平成元 山本 浩二 73-51-6 .589
1988 昭和63 阿南 準郎 65-62-3 .512
1987 昭和62 阿南 準郎 65-55-10 .542 広島市民球場に内野2階席が完成。
1986 昭和61 阿南 準郎 73-46-11 .613 五度目のセ・リーグ優勝
1985 昭和60 古葉 竹識 68-57-5 .544
1984 昭和59 古葉 竹識 75-45-10 .625 三度目の日本一
1983 昭和58 古葉 竹識 65-55-10 .542
1982 昭和57 古葉 竹識 59-58-13 .504
1981 昭和56 古葉 竹識 67-54-9 .554
1980 昭和55 古葉 竹識 73-44-13 .624 日本一連覇
1979 昭和54 古葉 竹識 67-50-13 .573 初の日本一
1978 昭和53 古葉 竹識 62-50-18 .554
1977 昭和52 古葉 竹識 51-67-12 .432
1976 昭和51 古葉 竹識 61-58-11 .513
1975 昭和50 古葉 竹識
ジョー・ルーツ
72-47-11 .605 セントラルリーグ初制覇(初優勝)
1974 昭和49 森永 勝也 54-72-4 .429
1973 昭和48 別当   薫 60-67-3 .472 帽子のマークが『H』から『C』に、ユニフォームベルトレス採用。
1972 昭和47 森永 勝也
根本 睦夫
49-75-6 .395
1971 昭和46 根本 睦夫 63-61-6 .508
1970 昭和45 根本 睦夫 62-60-8 .508 松田恒次オーナー死去。
松田耕平(1922-2002)がオーナー就任。
〔1977年マツダ社長退任〕
1969 昭和44 根本 睦夫 56-70-4 .444
1968 昭和43 根本 睦夫 68-62-4 .523 初のAクラス入り
1967 昭和42 長谷川 良平 47-83-8 .362 臨時株式総会で球団名『広島東洋カープ』と改称。
1966 昭和41 長谷川 良平 57-73-6 .438
1965 昭和40 長谷川 良平
白石 勝巳
59-77-4 .434
1964 昭和39 白石 勝巳 64-73-3 .467
1963 昭和38 白石 勝巳 58-80-2 .420 球団社長の伊藤信之が辞任。
後任に東洋工業社長の松田恒次(1895-1970)が就任.。
1962 昭和37 門前 真佐人 56-74-4 .431
1961 昭和36 門前 真佐人 58-67-5 .465
1960 昭和35 白石 勝巳 62-61-7 .504
1959 昭和34 白石 勝巳 59-64-7 .480
1958 昭和33 白石 勝巳 54-68-8 .443
1957 昭和32 白石 勝巳 54-75-1 .419 7月24日、広島市民球場で初ナイター。
1956 昭和31 白石 勝巳 45-82-3 .354
1955 昭和30 白石 勝巳 58-70-2 .453 株式会社広島カープ設立。資本金500万円。
初代社長は広島電鉄の伊藤信之(1898-1984)
1954 昭和29 白石 勝巳 56-69-5 .448
1953 昭和28 4/6 白石 勝巳
石本 秀一
53-75-2 .414 広島カープの歌(現:勝て勝てカープ)一般募集で決定。
1952 昭和27 6/7 石本 秀一 37-80-3 .316 セリーグ「勝率が3割を切ったチームは他球団との合併を義務づける」との方針を発表
   3割を切った松竹が大洋と合併
1951 昭和26 7/7 石本 秀一 32-64-3 .333 日本シリーズの日程の都合上ペナントレースの37試合が打ち切られた。
1950 昭和25 8/8 石本 秀一 41-96-1 .299 3月14日広島総合球場で国鉄を16対1で下して球団初勝利。
セリーグ6球団への歴史
1954 6球団 1位中日 2位読売 3位大阪 4位広島 5位国鉄 6位洋松
1953 6球団 1位読売 2位大阪 3位名古屋 4位広島 5位大洋松竹 6位国鉄
1952 7球団 1位読売 2位大阪 3位名古屋 4位大洋 5位国鉄 6位広島 7位松竹
1951 7球団 1位読売 2位名古屋 3位大阪 4位松竹 5位国鉄 6位大洋 7位広島 
1950 8球団 1位松竹 2位中日 3位読売 4位大阪 5位大洋 6位西日本 7位国鉄 8位広島
セリーグ球団の略歴
広島 1950広島カープ⇒1968広島東洋カープ
読売 1934大日本東京野球倶楽部⇒1936東京巨人軍⇒1947東京読売ジャイアンツ⇒2002読売ジャイアンツ
阪神 1936大阪タイガース⇒1940阪神⇒1945(猛虎)⇒1946大阪タイガース⇒1961阪神タイガース
中日 1936名古屋軍⇒1944産業⇒1946中部日本⇒1947中部日本ドラゴンズ⇒1948中日ドラゴンズ⇒1951名古屋ドラゴンズ⇒1954中日ドラゴンズ
ヤクルト 1950国鉄スワローズ ⇒1965(途中)サンケイスワローズ⇒1966サンケイアトムズ ⇒1969アトムズ⇒1970ヤクルトアトムズ⇒ヤクルトスワローズ
横浜 1950大洋ホエールズ⇒1953大洋松竹ロビンス⇒1954洋松ロビンス⇒1955大洋ホエールズ⇒1978横浜大洋ホエールズ⇒1993横浜ベイスターズ
松竹 1936大東京⇒1937(秋)ライオン⇒1941朝日⇒1946パシフィック⇒1947太陽ロビンス⇒1948大陽ロビンス⇒1950松竹ロビンス(1953には大洋と合併・消滅)
西日本 1950西日本パイレーツ⇒1951{(パリーグの)西鉄クリッパーズと合併★・消滅}
★読売ジャイアンツの提唱した「セリーグ6チーム化」に反発
※カープ初戦の相手、カープ負け
初代のカープ応援歌
 
「勝て勝てカープ」
 「それ行けカープ」 (若き鯉たち)
        現在ラッキーセブンにかかるカープ応援歌。
青いグランド 緑の風に 開く花びら 世紀のチーム
僕の私の広島カープ 
郷土の希望を背負って起った 男ナインの心意気 
勝て勝てカープ 勝て勝てカープ カープ カープ 我等のカープ

燃える太陽 湧きたつ雲へ 球も火も吹く 大きなあたり
腕は自慢の広島カープ 
打って守って走って投げて 見せる錬磨の 技と熱 
勝て勝てカープ 勝て勝てカープ カープ カープ 我等のカープ

晴れの試合へ 若さをかけて チームワークの輝くプレー
伸びる力の広島カープ 
夢もでかいぞ世界の空へ 響け皆んなのこの歓呼 
勝て勝てカープ 勝て勝てカープ カープ カープ 我等のカープ
カープ カープ カープ 広島 広島カープ
空を泳げと 天もまた胸を開く
今日のこの時を 確かに戦い
はるか高く はるかに高く 栄光の旗を立てよ
カープ カープ カープ 広島 広島カープ

勝ちにいくのが 選ばれた者の運命(さだめ)
一投一打が 勝負のすべて
闘志をつくし 闘志をつくし 今ここで花と咲けよ
カープ カープ カープ 広島 広島カープ

鍛えぬかれた 精鋭の技と力
その意気愛して 見守るわれらの
あしたへ続く あしたへ続く きりのない夢であれよ
カープ カープ カープ 広島 広島カープ

晴れのあかつき 旨(うま)酒をくみかわそう
栄冠手にする その日は近いぞ
優勝かけて 優勝かけて たくましく強く踊れ
カープ カープ カープ 広島 広島カープ
資料はカープガイド2004(中國新聞サービスセンター発行)他を参考にしました    
今(2023)年シーズンも、職業野球も新型ウィルス流行で悩まされるシーズンになりそうだとわたしは心配していますが、政府は経済停滞は許されないと5月8日以降インフルエンザなどと同じ5類感染症に指定替えしましたので、野球も普段の応援スタイルに戻りつつあるようですが、〔老人のわたしは、なおもコロナ感染の心配が解消されたわけではありません〕。
それを飛ばすわれらが贔屓チームの若き新監督に期待するのですが、ほとんど補強することもない(親から譲渡された株を守るだけの)無能オーナなのです(から)。
妻を亡くしてからというもの、職業野球(カープ中心でしたが)に関する愚痴を聞いてくれる人がいなくなり、野球に関する興味が無くなっていったわたしですので、もともとからの熱狂的カープファンではなかったのでしょう。
TV中継も、ラジオ中継もみききすることがなくなり、中國新聞でカープの出来事を知るだけになっています。
シーズン開始にヤクルトに三連敗した新監督を取り上げたNHK特別番組をみて、まだまだあきらめていない新監督の決意を何とも心強くみましたが、新しい戦力が加わることもなく、既存選手のボトムアップを目指す新監督の手腕を見守るしかないシーズンなのだと思っています。
今(2022)年シーズンも、職業野球も新型ウィルス流行で悩まされるシーズンになりそうだとわたしは心配しています。
それを一瞬でも吹き飛ばすわれらが贔屓チームの快進撃を望めないのが一層の悲壮感を助長するばかりです。
自ら身を引くのかなと思っていましたが、3年目の監督を選択したというものの、昨シーズンから続く先発陣の数的不安、中継ぎ不安、そして任せられる抑え投手もオープン戦では不安定で心配の種が付きませんが、一番の不安は監督力のなさなのです。
チャンスに打てない時が多かったとはいえ4番打者を手放し、その後を誰にするのかも決まらず、強力な外国人打者を招聘する資金の手当ても出来ぬ親から大量の株を譲り受けただけの現オーナーなのですから暗澹たる気持ちでシーズン開始をむかえようとしています。
ただ、他球団の戦力もプロ野球というもののたいして充実しているとは思えない処が救いで、なんとか優勝争いに食い込んでいただきたいと選手諸君の奮闘を期待はしたのですが。
今(2021)年シーズンも、職業野球も新型ウィルス流行で悩まされるシーズンになりそうです。
〔あれ程切り札と云っていたワクチン接種は、先進国最低水準のままで、その責任に言及出来ない政府(≒国産ワクチンを造れない衰退した日本国)を思うばかりです。〕それを一瞬でも吹き飛ばすわれらが贔屓チームの快進撃を望めないのが一層の悲壮感を助長するばかりです。
2021年もわれらがカープは、先発投手の数的不足、おまけに中継ぎ、抑え投手陣の力のなさ及び貧困さを新入団投手3人に負わせようとしていますが長いシーズンでの対応力はまだまだだと(わたしは)不安で仕方ありません。
現監督の力量のなさ、(監督力で三連覇を成し遂げたのに)次の手をうつことを忘れたオーナーの無能さを、今シーズンも味わうのかと思うとやり切れません。
2021年シーズンも早々に優勝戦線から脱落、監督力のなさをファンの前にさらしている状態のままシーズンは終わりましたが、来期も監督続投と報道で知りました。鬼に笑われながら来期も期待できないと落胆している処です。
そして、鈴木選手がポスティングで大リーグ挑戦を認めたとの報道に接しているのです。
今(2020)年シーズンは、
新型ウィルスの流行でシーズン開始が遅れ、無観客試合で始まり、5,000人までの観客で試合が続き、観客を収容観客の半分までと拡大しようとした思惑は第二次感染の広がりで、5,000人でとどまっている状況です。
新監督を迎えた今(2020年)シーズン、先発陣の数的不安、中継ぎそして任せられる抑え不在のまま、シーズンに突入しました。
投手コーチ時代、次の先発陣、中継ぎ陣の育成もままならぬまま監督になったツケが今シーズンの成績に現れることは間違いなく、あの弱い時代の中継ぎ抑えの補強を怠ったオーナーの怠慢が再び現れるシーズンになったことで、成績低迷で覇気のないにチームになることを恐れています。
恐れたようなシーズンになり、浮上することなく低迷のままセ・リーグ5位で終わりました。
今(2019)年シーズン総括は、
丸選手の抜けた傷が打線全体に広がり、一番田中選手の不振とともに迫力を欠いた打撃陣になったと云わざるえず、投手陣に至っては先発陣が安定整備されず、中継ぎ、抑え陣の不振とともに、先制点を許し、先行したかと思っていると逆転負け、そのような試合がやたらにあったシーズンになり、最終成績はBクラス4位になりました。
CS進出が阻まれた時点で、緒方監督がその責任を取る形で退任しました。
しかし、わたしはわたしの目が黒いうちにはもう優勝の美酒は飲めないだろうとあきらめかかっていた処を、緒方監督がセ・リーグ優勝を四半世紀ぶりに手繰り寄せ、しかも三年連続の優勝に、感激し、感謝したものです。間違いなく名監督です。
球団は1)暴力指導に関する対策
     2)ドーピングを防ぐ選手管理対策 についてもあやふやなままで今に至っています。
カープファンの末席にいるわたしだから、敢えて云いますが、ことしの成績不振の責任を取るのは松田オーナーですと。
セ・リーグ三連覇後の今(2019)年は、各球団のマークがきつくくなることは想像に難くありませんが、やはり丸選手が抜けた穴を埋めることはなかなかむつかしいでしょうね。
讀賣から移籍の長野選手チームに溶け込んでいこうとしていると聞きますので戦力にはなってくれるでしょうが、現時点ではレギュラーまではと期待はできないのでは?エルドレッド選手が退団しましたが、バティスタ選手が力を付けてきていますので面白い存在になると思っています。
来(2020)年は、挑戦する力なかった丸選手とは違って菊池選手が大リーグに挑戦するでしょうし、次に会沢捕手、野村投手もFA権を獲得し移籍していくことでしょう(から)、今年が(近年では)最後の日本一挑戦へのシーズンになるように思うのです。
打撃陣では、鈴木選手の充実が期待でき、松山、安部、西川、野間各選手、捕手とはいえ会沢、坂倉両選手などの活躍でなんとか優勝レースに残っていっていただきたいと願っています。
投手陣では、大瀬良投手の充実、岡田投手が続けば、ジョンソン投手、野村投手、薮田投手などで先発陣は他チームに劣ることは無いと思っていますが、昨シーズン終盤からの抑え中崎投手の不調は今シーズンも引っ張りそうで心配しています。
(2019年)3月29日今シーズンがはじまりましたが、それ以来5カード連続の負け越しで、既に借金8と低迷しています。報道をみていると今までの優勝チームにはない成績で、すでに優勝確率0%と報道されていました。
にわかカープファンが去り、弱い時からの辛口のファンのカープに戻り、天狗になった選手は足元を見詰め努力の積み重ねで、借金を一つづつ返していき、一つでも上へ順位を上げていっていただきたいものです。
2019年キャッチフレーズ「水金地火木ドッテンカープ」をもじって“ドッテン転ぶ”とならなければいいのですが。
ものの見事に転んでしまい4位になり、緒方監督が責任を取る形で退団しました。
しかし、名監督だったことに誰も異存はないとわたしは思っています。
セ・リーグ連覇後の今(2018)年は、各球団のマークが強くなり、打高投低のチーム事情から苦戦のシーズンになるとわたしは予想しているのですが。
田中、菊池、丸、鈴木の1~4番の充実が期待でき、後続松山、安部、西川、バティスタ、野間、捕手とはいえ会沢などが控える下位打線の活躍でなんとか優勝レースに残っていっていただきたいと願っています。
(2018年)7月6日の西日本豪雨災害後、7月20日5ゲーム差で迎えた地元での2位讀賣三連戦
初戦HRを打たれ負け試合だったと思ったところで、下水流(しもずる)選手の逆転さよなら2ランHRが、優勝への大きな試合になり。
二戦目・讀賣絶対エース菅野投手を打ち負かし、その勢いで三連勝としたことで(わたしは)ことしも優勝だなと思いました。
9月26日本拠地マツダスタジアムで2位ヤクルト戦で久しぶり打線爆発の10-0で勝利し、セ・リーグ三連覇を成し遂げてくれました。
※今(2017)年は投手陣の大黒柱であった黒田投手が引退し、そのあとを若手の投手陣でカバーしなくてはならない苦しいシーズンになることは想像に難くないところです。それに比べれば、打撃陣は新井選手の力の衰えは隠しえないでしょうが、1番田中選手、2番菊池選手、3番丸選手、そして今年は(神るという枕詞を使うことなく)堂々たる打撃を見せてくれるであろう鈴木選手たちの打撃力はますます充実し、おごることさえなければ、投手陣の力不足をカバーできると思うのですが。
昨年優勝チームということから他球団にマークされ苦しいシーズンにはなるでしょうが、セントラルリーグ優勝を獲得し、昨年忘れた(33年ぶりになる)日本一の栄冠を獲得していただきたいものです。
今(2017)年3月になって、広島電鉄のカープラッピングバスを走行中の車中からみたので、後ろ側からの画像しかありませんが頁を編集しました。5月になって広電カープ電車に乗りましたので、撮影し頁を編集しました。
※2016年は、1991年以来忘れていたセ・リーグ優勝の栄冠を獲得しましたが、日本一の栄冠は獲得できなかったのです。
昨(2016)年待望のセントラルリーグ優勝を獲得し監督力(監督術)が神っていることが証明されたようにわたしは思いました。
2017年は投手陣の大黒柱であった黒田投手が引退し、そのあとを若手の投手陣でカバーしなくてはならない苦しいシーズンになることは想像に難くないところです。それに比べれば、打撃陣は新井選手の力の衰えは隠しえないでしょうが、1番田中選手、2番菊池選手、3番丸選手、そして今年は(神るという枕詞を使うことなく)堂々たる打撃を見せてくれるであろう鈴木選手たちの打撃力はますます充実し、おごることさえなければ、投手陣の力不足をカバーできると思うのですが。
昨年優勝チームということから他球団にマークされ苦しいシーズンにはなるでしょうが、セントラルリーグ優勝を獲得し、昨年忘れた(33年ぶりになる)日本一の栄冠を獲得していただきたいものです。
2016年監督力(監督術)が問われる2シーズン目を迎えることになりました。
前田投手の大リーグ移籍、黒田投手も昨期のような活躍は難しいでしょうから、厳しいシーズンになるでしょうね。
しかし、監督、コーチ陣、選手諸氏のたゆまざる努力と勝つんだという精神的強さでファンの期待に応えていただきたいと思っています。今期は、菊池選手、丸選手とも気合の入れ直しができたはずでしょうから打撃陣の奮起で、中継ぎ投手力、抑え投手力の弱点をカバーした試合運びで、優勝という美酒を飲みたいものです。
2016年9月10日讀賣を破り、東京ドームでセントラルリーグ優勝を決めました25年ぶりの優勝です。
監督、コーチ陣、選手諸君、球団関係者・裏方の方々、よくやってくれました。
ありがとうございました。
昨(2015年)シーズンの悔しさを糧にしたのでしょう、今(2016年)の快進撃につながり、25年ぶりのセントラルリーグ優勝を9月10日に讀賣を破り決めました。
監督、コーチ陣、選手諸氏、球団関係者・裏方の方々、よくやってくれました。
歓喜の涙を流したわたしでした。
2016年9月10日讀賣を破り、東京ドームでセントラルリーグ優勝を決めました25年ぶりの優勝です。
監督、コーチ陣、選手諸君、球団関係者・裏方の方々、よくやってくれました。
ありがとうございました。
2016年10月15日CSでDeNAを4勝1敗で破り、日本シリーズへの挑戦権をえました。
この時期まで、贔屓チームを応援できる幸せをかみしめ、ありがとうございます。
2015年新監督を迎えることになりました。
オープン戦での貧打のチームを露呈し、勝てないチームだったのを、いかにして今年のキャッチフレーズ「常昇魂」というチームにしていくのかの手腕が監督・コーチ陣に求められているとわたしは思っています。
解説者諸氏がおだてて予想する優勝候補のチームだと勘違いせずに、コツコツと粘り強く努力し、勝利を重ね、優勝という美酒をファンのもとにも届けていただきたいと願っています。
1991(昭和56)年以来優勝した事はないチームなのですから、決して強いチームだと勘違いすることなく、淡白にならず、粘りを忘れずに相手チームに立ち向かって頂きたいものです。
大きな采配ミスがなくてもチームを勝利に導けないことは監督の責任なのだと思う情けない(4位で終了した)今シーズンだったとわたしは思っています。
2014年10月10日阪神とのクライマックスシリーズファーストステージに臨む直前に野村監督の電撃辞任が発表されました。
聞くところによると「松田オーナーは周囲に『わしは毎年最低でも勝率5割は達成できるだけの戦力を整えて現場に渡している』と胸を張ってきた。昨季まで4年間で1度も勝率5割をクリアしていない野村監督に対する評価は決して高くなかった」といわれているそうです。
この話の真偽をわたしは確認できる立場にはありませんが、何を云っているのか!と思いました。
ここまで低迷するカープにしたのは、歴代監督にあることは当然であるとは思いますが、それにもまして選手補強を(資金がないからと云外にいい)怠り、カープが育て主力になった選手を指をくわえて引き止める事さえしなかった無能な現オーナーなのです。そのように名オーナだった親から株を受け継いだだけの責任感がない事にあきれ果てるから無能なオーナーだとわたしは思うのです。
2013年クライマックスシリーズに進出したことで、来季の指揮もという無策なオーナーには、オーナーとしての責任を自問していないのではと思わずにはおられません。
サッカー・サンフレッチェ広島監督の指導力の例を出すまでもなく、大きな選手補強もなくむしろ主力選手が出て行ったチームを2年連続日本一に導いた事を考えた時、4年も続けて勝率5割を切った監督の更迭もあったのではと個人的には思っています。
2013年、もう少しましな成績であってもおかしくはなかったのではと思う処が身びいきで、贔屓の引き倒しなのかもしれません。しかし、クライマックスシリーズに進出したことを素直に喜びました。
今シーズンは後半戦から負け癖を脱しつつあるのではと感じられるチームになって来たように思っていたら、クライマックスシリーズに進出し、広島の街は優勝でもしたのではというほど盛り上がりました。
しかし、勝率は5割を割っている事、そして監督の趣味で成績も上がっていなかった堂林選手を使い続けていましたが、怪我をした事もあり、いままで出番が与えられなかった選手が満を持して出だしてからチームの勝利が増えてきた事を監督はけっして忘れてはならないと(わたしは)思っています。
2012年12月05日。クライマックスシリーズへ進出できるところまで来た今(2012年)シーズンだったのに、負けが込んで来た時貧打を選手の責任にかぶせ、無策であった監督に随分腹が立ったことを思い出すのです。
それにもまして、最終結果が出ていないのに早々に来季の指揮もと云う無策なオーナーには、オーナーとしての責任を自問していないのではと思わずにはおられません。
腹が立つことばかりではやり切れませんが、うれしいニュースもありました。
野村祐輔(岡山県出身:1989-   )投手が、今(2012)年度のセントラルリーグの新人王を受賞した事です。他に対抗馬がいないことから新人王獲得は間違いないだろうと(わたしは)思っていましたが、一つのめどとなる10勝に手が届かず9勝11敗という(貧打のわれらがカープ故の)成績に一抹の不安を持っていたのです。しかし、規定投球回に達し防御率1.98(セリーグでは、マエケンに続い2位の防御率なのです)には誰もが新人としても評価していると思っていましたが。
うれしいニュースでこの頁を編集することを忘れたわけではないのですが、来季こそと願っています。
*新人王受賞の投手成績・防御率1点台は1966(昭和41)年の読売の堀内恒夫(1948-  )投手以来で、46年ぶりだそうです。
2011(平成23)年11月23日「カープファン感謝デー」で、来季の新キャッチフレーズ「破天荒」が決まった事をニュースで知りました。勇ましい言葉が人を奮い立たせる事を否定することはできませんが、基礎的なものが出来きなくては「破天荒」にはなれない事を肝に銘じ、クライマックスシリーズ進出そして優勝の栄冠を勝ち取っていただきたいものです。 
職業野球というもの優勝という栄冠を求めて闘う(戦う)のでしょうが、他球団と戦うための戦力というものが分析されたデーターを受け取り、不備な部分を補強という手段で整えるのが球団オーナーというものでしょう。
ここ何年もその責任を果たしていない結果が出て、今(2011)年低(定)位置・セントラルリーグ5位に終わりました。
今シーズンも(飛ばないボールを使用したからでない)打てない、ここという時に抑えられない投手陣のカープだったのです。現オーナーの無能さを際立たせた結果と(わたしは腹立たしく)思っています。
2010(平成22)年の不甲斐ないシーズンでした。
われらが広島東洋カープです。1991年六度目のセリーグ優勝以来美酒を(カープファンは)飲むことができません。
今(2010)年ぬるま湯を脱するかと期待を込めて新監督をむかえた今年だったのです。
マツダスタジアムの最終戦においてゲーム終了後、クライマックス・シリーズにも進出できずに、5位が決定しているのに、スタジアムに残っていたファンに対し監督が(逃げるように)一言も発することがなかったと聞くにつけ、『俺たちは勝つ』と、たかだかに宣言したシーズン前の言の葉を忘れたのかと、思わずにはおられません。
戦力不足はシーズン前からわかっていた(とわたしは思っていましたがそんな弱気)が、気力と根性で勝抜いた過去の栄光を求めてのことだけだったと、素直にファンに云うのが筋ではなかったのかと思ったのです。
しかし、監督を縷々する前に、(わたしは顰蹙をかうのですが)現オーナーの無能さを思うのです。先発陣、中継陣の弱体、打線のひ弱さ・・・もう何年も前から云われていることなのです、弱点の補強は職業野球だから必要なことで、FAにおいても他球団の主力を獲得するくらいの補強、それも近い未来の美酒を味わう序曲の一つの方法なのではないのでしょうか。
2009(平成21)年ブラウン監督4年目を新球場で迎え、多くのファンの声援で、終盤までクライマックスシリーズへの進出を争いましたが、昨年台頭した4番打者、(外国人)エースが対戦相手の研究を上回る活躍ができず、5位とい最近の定位置で終わりました。
結果責任ということでしょう監督更迭となり、新球場2年目をチーム生抜き・野村謙二郎監督でむえることになりました。
2008(平成20)年ブラウン監督3年目をむかえ、新4番打者、新エースが台頭、ストッパーの活躍、また足を使った試合ができるようになってきて、クライマックスシリーズへの進出を中日ドラゴンズと(3位を)争い久しぶりにシーズン終盤まで盛り上がりました。しかし、結果責任という最近はやりの言葉で結べば、4位、勝率4割9分6厘と決して満足できる成績ではなかったのですから(監督は)自画自賛はできないのではと。
2007(平成19)年ブラウン監督2年目をむかえ、飛躍のシーズンになる予感大だったのですが、セパ交流戦から昨年同様大きく負け越し、後半戦は来シーズンの飛躍を期待してもいい選手たちの起用もなく低迷したシーズンで、ヤクルトの不甲斐なさで微差の5位で終わりました。シーズン終了後、エースと4番打者がともにFAを宣言し球団を去っていく選択をしました。
2006(平成18)年新監督を向かえ、迷走していた新球場問題も広島駅横のヤード跡地に決定し、飛躍できそうなシーズンでしたが、最終的には5位で終わりました。
2004(平成16)年シーズン中からごたごたしだした職業野球、読売ジャイアンツを中心に動いていることには違いないのでしょうが、6球団・セパ2リーグから10球団・1リーグへとの思惑、そして8球団1リーグが最終形と縷々されていますね。
1リーグ10球団までなら球団の存続はあるでしょうが、1リーグ8球団を描いているという讀売元オーナー、経済界の首脳といわれる人物には我らがカープは入ってないと噂されている?ようですが。



「広島カープ関連」編・全体



広島ぶらり散歩
広島東洋カープ・年度別成績
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広島市民球場
旧市民球場解体工事経過
  (解体工事中の)旧市民球場
旧・市民球場建設時パネル
広島市新球場・完成予想図
  (工事中の)新球場
(新球場)マツダスタジアムで観戦
(ボールパーク)マツダスタジアム


  
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