(旧上水内村)慰霊碑

  佐伯区湯来町多田の河内神社境内に、1959(昭和34)年に建立された「(旧上水内村)慰霊碑」です。
 正面: 慰霊碑
    広島県知事 大原博夫
裏面: 昭和三十四年九月    旧上水内村
台座正面: 日清戦争(2名)、日露戦争(4名)、シベリア事変(2名)、公傷病死者(6名)、支那事変並ニ大東亜戦争(108名)、原爆公傷病死者(7名)、原爆犠牲者(20名)、満州開拓犠牲者(57名)。
 ※石碑の記述から上水内村の原爆関連の犠牲者は27名とわかりました。
1889(明治22)年4月1日4月1日町村制の施行時、
         多田(ただ)村+菅沢(すがさわ)村=上水内(かみみのち)村となりました。
1956(昭和31)年9月30日砂谷(さごたに)村+水内村+上水内村=湯来(ゆき)町が発足。
2005(平成17)年4月25日湯来町が広島市に編入、佐伯区湯来町になりました。
三村が合併して湯来町が発足した記念としてそれぞれの村に戦没者慰霊碑が建立されたそうです。
この碑は、合併三年後に建立されています。
2015年交流ウォーク先輩の増田先生が、湯来町へは若いころ研修で行って以来行っているから道案内はできると、湯来町に建立されている慰霊碑を巡ってみようと云って下さったのです。
湯来町で最初に砂谷村慰霊碑を訪ね、次がこの上水内村慰霊碑でした。
湯来ロッジを目標に行き、旧道に入り湯来西小学校の方に行き佐伯消防団上水内分団湯来車庫(左手)の手前右手に神社が見え停車してもらい神社鳥居額をみて河内神社と確認しました。
慰霊碑は、境内右手の奥に建立されていました。その手前に日露戰役紀念碑が建立されていました。
増田先生に“みずうち”と云っているわたしに「みのち」と読みますよと云われたので、以前編集した廃線になった可部線の駅「水内駅」があったことをうろ覚えながら思い出したのです。
15.12.02.裕・記編集

15.11.21.撮影
広島市佐伯区湯来町多田2416   河内神社

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影



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