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中区上幟町の広島女学院高等学校に建立されている「広島女学院原爆被災記念碑」です。 |
戦前の地図をみると、広島女学院と広島女学院専門部が(当時)上流丁49,52にあります。
その原爆被災に関する記念碑として1983(昭和58)年建立されたのがこの広島女学院原爆被災記念碑です。 |
1945(昭和20)年8月6日原爆被災
被災前の広島女学院高等女学校(現中高)の二階建木造校舎と被爆後の廃墟。
この校舎には被爆時約60人の教師・生徒がおり即死5人、重軽傷者2人であったという。隣接校地の専門学校(現大学)の三階建校舎も同時に倒壊、全焼、礼拝直後であったため、150人余りの教師生徒の中、即死者27人、重軽傷者107人、行方不明14人の犠牲を出した。
この他学校外の動員先での本校教師生徒の死傷者は高女部346人(即死者297人)、専門部196人(即死者48人) |
1983(昭和58)年4月建造、1981(昭和56)年度卒業生 |
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わたしが参考にしている資料には広島女学院に関する記述がなく爆心地からの距離についてはわがりませんが、戦前の地図をみると現在地と被爆当時もほぼ同じではないかと思いました。
幟町国民学校(≒1,100m)、広島放送局(≒1,000m)などから推測すると爆心地から≒1,000m〜1,100mくらいではと思いましたすが。 |
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女学校を訪ねることは、理工系で育ち娘を持ったことがないわたしにはチト苦痛なのですが、
2006年ガードマンの方に用件を伝え、事務室で、資料で知ったこの原爆被災の碑を撮影させていただきたいとお願いしたのです。20年も前に建立された碑の存在自体が忘れられようとしていましたが事務長と思われる方がゲーンス校母胸像の横と思い出され撮影許可が下りましたので、撮影して、この頁を編集しました。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を更新しました。 |
15.06.03.更新 06.11.14裕・記編集 |