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広島市中区上幟町の広島女学院中学高等学校ゲーンス記念ホール前に建立されている「ゲーンス先生胸像」です。
※像の作者は、坂手譲です。 |
校母ゲーンス先生
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在職45年 |
生年1860年4月〜永眠1932(昭和7)年2月
来広1887(明治20)年10月 |
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創立70周年記念 再建1956(昭和31)年10月1日 |
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おじさんの『原爆記』に出てくる兵器部の(非常時)集合所だった牛田の女学院・大学に立ち寄ったときに知った学校初代校長ナニ・B・ゲーンス先生の胸像を高校で拝見しましたので編集しました。
ゲーンス先生は、72歳で亡くなるまでの45年間、広島の地でキリスト教と女子教育のため働かれ、その働きに対し、広島市は、比治山に、当時は認められていなかった外国人の埋葬を、特例として認め、広島女学院の育ての親であるゲーンス先生の墓碑には、「Workers
together with God」(日本語で云えば、「我は神とともに働く者なり」となるのでしょうか)と刻まれているそうです。 |
2011年この胸像の作者はと思ったのですが、女子高に立寄るのはチトためらいがあるのですが、この胸像作者と、原爆慰霊碑があったところが新校舎になっている事を校外から見ていましたので、移設されていると思ってはいましたが、拝見しようと訪ねました。校門横のガードマンボックスで要件を云い見せていただきました。
像の後ろに回ると「Y.SAKATE」と刻まれていましたので、坂手譲と思いましたが、堀川町原爆慰霊碑のブロンズ像の作者・、坂手譲のサインをみて確認しようと思ったのです。12月になって堀川町原爆慰霊碑をみると同じサインでしたので、このゲーンス先生胸像の作者も坂手譲と確認しました。 |
2015年被爆70年をむかえましたのでここ女学院の原爆関連の慰霊碑も訪ね頭を垂れました。
帰る途中のここで取り上げているゲーンス先生胸像も撮影していました。2016年のいまになりましたが、この頁を更新しました。 |
16.04.1.更新 06.11.15裕編集 |