(本逕寺の)海塚翁碑

  中区大手町の本逕寺に建立されている「海塚翁碑」です。
※この碑は、1945(昭和20)年8月6日原爆によりクラック(ひび割れ)が痛々しい被爆した記念碑です。
海塚新八(かいづかしんぱち:1847-1913)
広島県・五日市の海老塩浜で塩田を経営していた清水新平の次男。1867(慶応3)年西本川の肥料問屋・海老屋の養子になり、その時養父から千円をもらい10年間貯蓄して財を増やしました。
綿花栽培(の為の肥料も)が衰退することを見越し、金銭貸付に主力を移していきました。百四十六国立銀行副頭取。広島貯蓄銀行頭取。広島呉電力会社取締役。広島米取引所理事長など歴任。
1916(大正5)年7月海塚を顕彰してこの海塚翁碑が建立されています。
※海塚新八の資料は、田辺良平著「広島を元気にした男たち」を参考にしました
資料でここ本逕寺に(爆心地から≒890mで)被爆した燈籠、墓石などと記載がありましたので境内を拝見していた時にこの海塚翁碑をみたのです。この碑の原爆によると思うすざましいクラックをみた時息をのみ佇みました。碑裏の建立年をみて間違いなく被爆した石碑だと思いました。
被爆した石碑として取り上げていましたが、2011年海塚翁碑が海塚新八碑ということがわかりましたので、改めて碑文が読めないかと思いましたが、読めないまま撮影しましたが、海塚新八のことが少しわかりましたのでこの頁を編集しました。
 12.01.02裕・記編集

11.11.29.撮影
広島市中区大手町3-13-11  本逕寺

07.09.10.撮影

07.09.10.撮影

11.11.29.撮影

11.11.29.撮影



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編


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