こうとくじ こふん
康徳寺古墳

  世羅郡世羅町大字寺町にある「康徳寺古墳」です。
※『東側に接して白鳳時代(7世紀後半~8世紀初め)の寺(康徳寺廃寺)跡があり、
         この古墳の被葬者につらなる豪族によって、寺院の建立された可能性も強い。』そうです。
  広島県指定史跡  康徳寺古墳    昭和十五(1940)年二月二十三日指定      世羅町教育委員会
  本古墳は、標高485mの正徳山の東南麓にある臨済宗仏通寺末(寺)康徳寺の参道西側傾斜地に位置し無袖式の羨道と玄室の区別のある横穴式石室を有した円墳です。
石室の規模は、開墾により削り取られていますが、現在の長さ8.3m、奥壁部幅2.1m、奥壁部高さ3.2mで、県内第二位の規模です。
各部の石材は比較的大型の割石を使用し、天井石は四枚で構成され、羨道部の境は、天井を下げ、立柱石を据えることにより区別されています。
本古墳の時期は、出土した須恵器や石室の構造形態などから六世紀後半と考えられています。
また、石室内より平安時代末期から鎌倉時代のものと思われる泥塔が多数出土しており、後世に供養がおこなわれたものと思われます。
現地設置説明板と広島県教育委員会の資料とに多少の違いがありましたので下記に書きだしました。
円墳:直径約17m、高さ約5m。
石室:全長9.5m、高さ2.4m。玄室:長さ5.9m、中央幅2.5m、高さ(奥壁部)3.2m。羨道:長さ2.4m、幅1.8m。
1995、1996(平成7、8)年環境整備事業が行われ、須恵器・土師器・耳環のほか中世の土師質土器・瓦器・土鍋などや、仏具や泥塔、墨書礫などが出土した。
広島県最大の横穴式石室は、三原原市本郷町の梅木平(ばいきひら)古墳のようです。
規模は不明であるが円墳と思われるそうです。
現存の全長13.25m、奥壁幅3.02m、高さ4.21m。
泥塔(でいとう)≒泥土製の小塔。中に大日如来の種子(しゅじ)である阿(आः)字などを書いて納める。
2016年黄金週間でごった返す道の駅・世羅だったので、(食事をしようと思っていたのですがこれではいつになるかわからないと)町内の食事処を探そうとしたときみたのが康徳寺古墳を案内する道路標識でした。
古墳をしばらく見ていなかったので、古墳を見に行くかと道路標識の矢印の方に入って行ったのです。途中みたのが、真行寺で立ち寄り、それからこの康徳寺古墳に行ったのです。見学の後、康徳寺を訪ねました。
遠くからは木立に隠れ円墳と云うことも分からなく、世羅町教育委員会の説明板ですぐに古墳の位置はわかり近づいて円墳とわかりました。
説明板に県内第2位の石室とありましたので、石室に入ると正面壁の石、天井の石、相当の施工能力がないとできないな~と建築屋の端くれだったわたしは思いながら撮影し、この頁を編集しました。
  この後道の駅に戻り食事をしてから大田庄歴史館でこの古墳の模型、出土した須恵器を見ましたので、大田庄歴史館(@210円/大人)も併せて見学するとこの古墳の理解に役立つと思いました。
 16.05.11.裕・記編集

16.05.04.撮影
広島県世羅郡世羅郡世羅町寺町   (康徳寺参道脇)

16.05.04.撮影

16.05.04.撮影
(円墳ということがわかる構図はないかと撮影しましたが)

16.05.04.撮影

16.05.04.撮影

16.05.04.撮影
 (石室入り口部分)

16.05.04.撮影
(玄室方向をみました)

16.05.04.撮影

16.05.04.撮影

16.05.04.撮影
(天井の四枚の石)

16.05.04.撮影
(玄室から入り口方向をみました)

16.05.04.撮影
(濃い緑の木立がある処が古墳ですが、全体的にはわかりません)

16.05.04.撮影
世羅町大田庄歴史館に展示の康徳寺古墳模型(から円墳がわかり上に立木があります)

16.05.04.撮影
出土の泥塔(設置の説明板の写真を使用しています)

16.05.04.撮影
(設置の説明板の写真を使用しています)

16.05.04.撮影
世羅町大田庄歴史館に展示の康徳寺古墳から出土の須恵器など



「古墳遺跡遺構など」編



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