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呉市倉橋町才ノ木に鎮座している「桂濱神社」です。 |
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桂浜神社について 倉橋町教育委員会 |
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昔は八幡宮といっていた明治4(1871)年から地名に基き桂浜神社と改号 |
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祭神:宇佐八幡宮の御神霊を勧請しお祀りしています
宗像三女神(多紀理毘売命、市寸島毘売命、多岐都毘売命)、
応神天皇、仲哀天皇、神功皇后 |
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祭日:毎年陰暦八月十五日 |
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神社の創建の年代は詳らかではありません、しかし天平8(736)年遣新羅使大石蓑麿卿の一行が下向の時倉橋の海上に泊船し詠まれた歌の一首(万葉集巻十五)
わがいのち長門の島の小松原幾代をへてか神さびわたる
これによっても当時既にこの地に社は鎮座していたと思われます。再修の節の棟札によれば時の領主・平朝臣弘重・貞光、檀那・平朝臣民部丞実時によって文明12(1480)年陰暦6月2日に再修されました。本殿は前室付の三間社流造・こけら葺です。昭和57(1982)年6月11日に国の重要文化財に指定されました。 |
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桂濱神社本殿:
(附宮殿3基)
(棟札1枚) |
戦国時代、文明12(1480)年再建の神社建築。桂が浜に面した小高い丘陵上に建っています。前室付の三間社流造、こけら葺で、庇(前室)の三方に縁を巡らす。
身舎(もや)、庇はいずれも丸柱からなり、身舎、庇とも板張の床で、身舎は一段高くなっています。身舎正面に祭壇を構え玉殿三棟を安置しています。この玉殿は一間社見世棚造(いっけんしゃみせだなづくり)、薄長板葺の珍しいもので、本殿建立と同時期のものと考えられます。本殿は地方色が濃厚な建物で、全体に木細く、簡素な作りではあるが意匠的にも優れた建物です。
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倉橋歴史民俗資料館を見学した後、倉橋温泉館で昼食を摂った後、「日本の白砂青松100選」「日本の渚・百選」に選ばれているという桂浜に建立されている石碑などをみながらを散策し、東側に位置する(県道35号線を渡って)この桂濱神社を参拝しました。 |
11.12.06裕・記編集 |