原爆によって折れた廣島護國神社北面の鳥居脚部 (廣島護國神社の被爆鳥居台座)

  中区基町の広島市青少年センター北西側に展示されている
        「廣島護國神社:原爆によって折れた北面の鳥居脚部」(廣島護國神社の被爆鳥居台座)です。
2005年当時は植樹の中に隠れるように設置されていましたが、
2015年撮影する時は、周りが整備され視界が開け、横を歩く人にもすぐわかるように「旧廣島護國神社の被爆鳥居台座」の看板が設置されていました。
原爆によって折れた旧護国神社鳥居(北面)の脚部
昭和46(1971)年この公園を南北に走る下水工事中現在位置より約20mのところで発見されました。北面の鳥居と確認されたのは佐々木雄一郎氏(市内元宇品の写真家)の貴重なフィルムによります。即ち佐々木氏は被爆一ヶ月後からの「ひろしま」を数多く撮影されていますがその中にこの鳥居に関したもの三枚がありました。  尚この発掘・設置については清水建設の協力を得ました。
昭和46(1971)年12月22日 広島市青少年センター
北側の鳥居は、倒壊し、後に発掘され、ここ青少年センター根際に展示されています。
南側の鳥居は倒壊を免れ、現在は広島城東側(RCC社屋根際)に移設され建っています。
資料をみていて護国神社鳥居の脚部が残っていることを知り2005年になって撮影に行ったのです。
爆心地に近い方の鳥居は残り、北側の鳥居は倒壊破壊した事を知りました。
佐々木氏の写真を館員の方に伺い許可をいただき展示してあった写真を撮影させていただきました。
2015年久しぶりに撮影しよう近くにきてみて、この台座の回りが開けており誰もが気付くようにと看板も設置されていました。2016年になりましたが掲載画像も見直し、この頁を更新しました。
16.03.26.更新   05.04.12裕・記編集

05.01.13.撮影
広島市中区基町5-61 広島市青少年センター北西側

05.01.13.撮影
説明板(上記)が設置されています 

05.01.13.撮影
館内に展示してある写真額

05.01.13展示写真を.撮影
昭和20年に佐々木雄一郎氏が撮影された写真です。(北側の鳥居は原爆で倒壊した事がわかりました)

15.03.15.撮影
2005年当時は植樹の中にありましたが、今(2015年)回は周りが整備されていました

15.03.15.撮影
「旧廣島護國神社の被爆鳥居台座」の看板が設置されています

15.03.15.撮影
(もともとあった説明板もあります)

15.03.15.撮影
2005年当時は旧市民球場がありましたが、今回は解体されています



被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩へ
廣島護國神社(概説)
被爆し現存する鳥居
被爆倒壊した鳥居脚部
  (被爆した)鳥居(拡大)、名版石
吉田正浪作:英霊にささぐ・像
丸山幸一作:双鯉の像・昇鯉の像
寶祚無窮矣・碑
ノモンハン事変15周年記念・植樹碑
(番外)廣島護國神社の絵馬


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