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東区二葉の里に鎮座している「鶴羽根神社」を取り上げました。 |
祭神 |
八幡三神 |
帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと:仲哀天皇)
品陀和氣命(ほんだわけのみこと:応神天皇)
息長帯日賣命(おきながたらひめのみこと:神功皇后) |
妹背二柱の神 |
伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと) |
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鎌倉時代源頼政(1104-1180)の室・菖蒲の前が賀茂郡西條郷(現在の東広島市西条町)に落ち延びその没後に遺志により元久年間(1204-1206)家臣・池田左衛門が当社を創建し、修理料として椎木を付けたので椎の木八幡宮と称しました。その後、元亨年間(1321-1324)に火災に遭い、また、後の戦乱により荒廃しましたが、近世になって復興されました。
1833(天保4)年2月12日明星院より出火、類焼し1835(天保6)年現在地に遷座して社殿を再興しました。(旧鎮座地は饒津神社の境内地の一部となっています。)、約800年の歴史があり広島東部の総氏神です。
1869(明治2)年浅野長勲(12代藩主)の撰名で鶴羽根八幡宮と改称。
1872(明治5)年鶴羽根神社と改められました。
1945(昭和20)年8月6日の原爆により社殿は廃燼に帰しましたが再興されました。石鳥居は往時の姿を残しています。
社名は背後の山が羽根を広げた鶴に似ているので名付けられたそうです。 |
被爆したマツは初詣などのときにみて知っていましたが、被爆したクスノキはわかたなかったので2005年11月に訪ね探したのですがわかりませんでしたので、2006年1月交流ウォーク時に皆さんから離れクスノキを探しました。
2006年は被爆した太鼓橋など石造物を中心に撮影しました。
2009年参拝した時に拝殿を撮影していなかったので、撮影していましたので画像を追加し、説明板の神社由緒と広島県神社誌に多少の違いがありましたので、記述も追記しました。 |
18.08.29.更新 04.03.31裕・編集 |