(大願寺)伊藤博文揮毫扁額

  廿日市市宮島町北大西町の大願寺本堂に架けられている「伊藤博文揮毫扁額」を取り上げました。
※2020年落ちて壊れたので、伊東博文筆の新しい扁額になっています(下段に画像を掲載)。
亀居山放光院・大願寺本堂に架けられている扁額には「厳島 本願 天道 場  伊藤博文謹題」とあります。
※新しくなった扁額で「厳島 本願 大道 場  伊藤博文謹題」だったことがわかりました。
i伊藤博文は度々宮島を訪れていると聞いていましたし、もみじ饅頭は『伊藤が岩惣の茶店に立ち寄った時、お茶を差し出す茶店の娘さんのかわいい手を見て「もみじのような可愛い手、食べてしまいたいような手だね。」と冗談まじりに云ったのを、聞いていた岩惣の女将がその言葉をヒントに、茶菓子としてもみじ饅頭をつくらせた』と語り伝えられていますので、
大願寺に依頼され揮毫したもので扁額が造られたのであろうと思いますが。
            伊藤博文(いとう ひろぶみ:1841-1909)
政治家。長州の人。初名は俊輔。松下村塾に学び、討幕運動に活躍。
明治政府にあって、帝国憲法の制定、天皇制の確立に尽力。初代首相・枢密院議長・立憲政友会総裁などを歴任。組閣四度に及び、その間日清戦争を遂行。1905(明治38)年初代韓国統監。ハルビンで安重根(アンジユングン:1879-1910)に暗殺された。
2006年に大願寺の頁を編集するので撮影する前から、厳島神社を参拝した後、ここ大願寺にお参りしていたのですが、上を見上げてこの扁額をよく見ることもなかったわたしでした。
2012年にお参りした時、よく見ると伊藤博文とあったので撮影していました。2015年にいまになりましたが、この頁を編集しました。
(コロナ禍だった2020年が続いている)2021年1月に大願寺境内の五本松になった九本松を見に来たのです。
本堂で、息子とお参りした後、頭上のこの扁額をみたのです。
いままで年代を感じていた伊藤博文筆の扁額でしたが、真新しい扁額になっていました。
そのことを閑散とした本堂前で息子に話していた時、近くにおられたお寺の方に昨年住職の目の前で扁額が落ち(てめげてしまった)たので、暮れにいまの新しく造られた扁額を寄進していただいたのです。と説明していただいたのです。
“厳島本願天道場”と解釈していましたが天ではなく大ということが新しい扁額でわかりました。
21.01.26.更新     15.06.07.裕・記編集

12.04.07.撮影
広島県廿日市市(旧佐伯郡)宮島町北大西町3  

12.04.07.撮影

12.04.07.撮影

21.01.22.撮影
2020年新しくなった扁額

21.01.22.撮影
“厳島本願大道場”わかりました
敬称は略しました



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