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兵庫県赤穂市加里屋の花岳寺に建立されている(赤穂藩関連)「浅野家三代の墓」です。
※藩祖・長直、二代・長友、長直の父・長重の三代のお墓です。
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浅野家三代の墓
ここには 藩主・浅野長道、二代藩主・浅野長久、常陸笠間城主・浅野長重の墓があります、
この花岳寺は、浅野長直が父の菩提のために建てたので浅野長重の法名の「華嶽院殿鋳山道牛大居士」から華嶽寺といいますが、今は略して花岳寺と書いています。 |
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※1) |
浅野長直(あさの ながなお:1610-1672)
下野真岡藩(のち常陸笠間)藩主・野長重(浅野長政の三男)の長男として生まれました。
1632(寛永9)年父の跡を継いで笠間藩主となりました。1645(正保2)年赤穂藩主となり、1649(慶安2)年から赤穂城築開始、1661(寛文元)年完成させました。また、城下の整備も進め、上水道の設備などがおこなわれました。さらに、塩業村を興し、赤穂塩の経営を始めました。次いで、入浜塩田法を導入して大量増産をはかりましたので、名君の誉れ高いようです(が、Wikipediaによると農民・塩田労働者から高い年貢を取り立てたため、憎まれていたそうです)。1671(寛文11)年に長男・長友に家督を譲り、翌(漢文12)年死去。 |
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※2) |
浅野長友(あさの ながとも:1643-1675)
播磨赤穂藩の第2代藩主。初代藩主・浅野長直の長男。
1657(明暦3)年祖父長重と同じ従五位下采女正に任官。1671(寛文11)年父の隠居により家督相続。1672(寛文12)2年)10月赤穂に初めて入り、藩政を執りましたが、(1675(延宝3)年33歳で早世。
跡は赤穂事件で知られる長男・長矩が9歳で継ぎました。 |
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浅野長重(あさの ながしげ:1588-1632)
浅野長政(1547-1611)の三男、近江国生まれ。1600(慶長5)年徳川秀忠(1579-1632)の小姓。
1601(慶長6)年長重が2万石で入ることで下野真岡藩が立藩しました。1611(慶長16)年父・長政の死去に伴い、隠居料として与えられていた常陸真壁5万石を相続し、真岡2万石は幕府に返上しました。
1622(元和8)年加増転封の内意を受けましたが、長重は真壁の領有を望み認められ、真壁を含む5万3500石とされて常陸笠間藩主に転じました。1632(寛永9)年死去。家督は長男の長直が継ぎました。 |
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広島ぶらり散歩「赤穂義士関連」編を2009年に編集をはじめました。
その時、浅野長矩についても少し調べましたが、ここは岳寺で、その父・長友、祖父・長直などの墓をみたので、独立したこの「浅野家三代の墓」の頁を編集し、三殿様の略歴もWikipediaなどを参照して記述してみました。
戒名を読もうとしましたがいずれもわたしには読めませんでした。ただ、説明板いある長重はわかりましたが。 |
18.08.04.裕・記編集 |