くまのなちたいしゃ
熊野那智大社
  和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山に鎮座している「熊野那智大社」です。
*境内でに展示されていた“八咫烏”の彫刻もこの頁の下段で取り上げました。
*境内にある和歌山県天然記念物“那智の樟”は別頁で編集しました。
那智勝浦町観光協会の公開資料などによると
『熊野那智大社は、那智山青岸渡寺とともに熊野信仰の中心地として栄華を極め、古来より多くの人々の信仰を集めています。熊野速玉大社・熊野本宮大社とともに熊野三山の一つです。
467段におよぶ石段の上に建つ6棟からなる社殿は、標高約330mに位置し、夫須美神(ふすみのかみ)を主神としてそれぞれに神様をお祀りしています。〔伊弉冉尊(いざなみのみこと)とも云われる夫須美神は、万物の生成・育成を司るとされ、農林・水産・漁業の守護神、縁結びの神様また、諸願成就の神としても崇められています。〕
社殿は、仁徳天皇(第16代)の御世(317年)に現在の位置に創建され、平重盛(1137-1179)が造営奉行となってから装いを改め、やがて、織田信長(1534-1582)の焼討に遭ったのを豊臣秀吉(1536-1598)が再興しました。
徳川時代に入ってからは、将軍吉宗(1684-1751)の尽力で享保の大改修が行われています。
境内には、日本サッカー協会のロゴにも用いられている“八咫烏(やたからす)”の烏石や、樹齢約850年の大楠が茂っています。
社殿並びに境内は、2004(平成16)年7月、ユネスコの世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。
   熊野那智大社社殿 八棟    文化庁、熊野那智大社、和歌山県教育委員会(設置の説明板)
      重要文化財 平成6(1994)年12月26日
      世界遺産   平成16(2004)年7月1日
      指定理由:歴史的価値の高いもの
  第一殿  瀧宮       第二殿  證証殿
  第三殿  中御前      第四殿  西御前
  第五殿  若宮        第六殿  八社殿
  御縣    彦社        鈴門    瑞垣
熊野那智大社は、熊野三山の一つに数えられ中世以降は日本第一大霊験所・根本熊野三所権現として全国的に信仰された古社です。
社殿は東西横一列に横一列に配された第一殿から第五殿と、第五殿の正南方に並ぶ第六殿・御縣彦社からなっています。各社殿は瑞垣で仕切られており、各社殿の正面には鈴門が開かれています。
第一殿から第六殿が嘉永四(1851)年から嘉永七(1854)年の建立、御縣彦社は慶応三(1867)年の建立です。
社殿はその規模が大きく良質で彫刻をほとんど用いない等、配置や形式に特徴があり、全国の神社建築に影響を与えた熊野三山の社殿形式を伝えるものとして、わが国の神社建築史上貴重です。
熊野三山の一つここ熊野那智大社のことも、三山をすらすらと云える知識もなく、ツアーの中の一社として案内してもらったのです。
(ここで取り上げた那智大社と那智の滝などの位置関係を案内板の一部を切り取ったのが上図です)
467段もある石段を上り参拝したここ熊野那智大社でしたが、説明板にある社殿の撮影はうまく撮影できなかったのですが、妻を喪った後で、妻との思い出を考えながらこの頁を編集しました。
神武天皇の東征を導いたという八咫烏の像を見たので撮影し、下段に編集しました。
20.06.24.裕・記編集

19.09.30.撮影
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山 那智詣でのはじまり

19.09.30.撮影
467段あるという石段を上っていきました(石段左側蹴上に段数が書いてありました)

19.09.30.撮影
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社額の鳥居をみました

19.09.30.撮影
    和歌山県指定天然記念物ヤマザクラの名木(社務所前)  1965(昭和40)年4月14日指定
ヤマザクラは、日本に自生する桜の代表で、昔からお花見の対象とされてきました。
比較的低い山に多く、高さは20m以上になります。
このヤマザクラは、神社社務所の前庭にあり、根廻りで3.6mある大樹として注目され、樹形もよく整い、まれに見る名木です。

19.09.30.撮影
(振りかえって上ってきた石段を見ました)

19.09.30.撮影
(拝殿前で参拝しました)

19.09.30.撮影
文化庁などが設置の社殿説明板(上記)

19.09.30.撮影
社殿の撮影位置がいまいちでうまくいきませんでした
八咫烏(やたがらす)
熊野那智大社の公開資料によると
『日本サッカー協会のシンボルマークになっている「八咫烏」は神武天皇東征の折、道案内をしたといわれる烏であり、熊野の神様のお使いとされています。
延喜式には「三足烏 日之精也。白兎 月之精也」と記され、朝廷の儀式用装束や祭具に、また日本各地の祭では鉾や的に太陽と烏、月と兎が描かれています。
太陽の中に住む霊力を持つ鳥が「八咫烏」で、八咫烏の咫(あた)は寸や尺といった長さを表す単位の一つですが、八百万が「たくさん」を意味するのと同様、八咫は「大きい」を意味しています。
当・熊野那智大社では拝殿左手の御縣彦社(みあがたひこしゃ)にてお祀りされ、導きの神様・交通安全の神様と崇敬を集めています。
(神武天皇東征の)無事、大和までの道案内を務めた八咫烏は熊野の地に戻り、石に姿をかえて休んでいるといわれ「烏石」が境内に存在しています。(拝観料:5名以内1,000円より)』とあります。
広島での神武天皇東征に関連するものを訪ねていましたので、ここ熊野那智大社でみた八咫烏像を撮影したのです。
ここ熊野の地で役割を終え石に戻ったことをわたしは知りました。

19.09.30.撮影
八咫烏像をみました  (後方は、説明版にある“鈴門”です)

19.09.30.撮影

19.09.30.撮影

19.09.30.撮影
(三本足をみようとしましたが背が高くないわたしには撮影できませんでした)



「和歌山県(南紀関連)」編



(広島ぶらり散歩)
熊野那智大社
  (熊野那智大社)那智の樟
那智山青岸渡寺
那智山郵便局(丸型ポスト)
飛瀧神社
那智の滝
熊野古道(大門坂付近)
那智勝浦町のマンホール蓋


何処へ行ってもぶらり散歩


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