丸亀城(別名:亀山城) -概説-
  香川県丸亀市一番丁に築かれている「丸亀城」です。
※本丸には、江戸時代に建てられた御三階櫓が現存しています。
丸亀城は、豊臣政権時代の慶長2(1597)年から5年かかりで生駒親正(ちかまさ:1526-1603)がその子・一正(1555-1610)と共に築いたといわれ、自然の小山を利用した平山城です。
山の形が亀に似ている処から亀山城と名付けられ、それにちなんで蓬莱城とも呼ばれています。標高66mの岩山を利用し、東西南北の四面に高い石垣をめぐらした城です。
生駒正俊(3代:1586-1621)の時、慶長20(1615)年江戸幕府が制定した一国一城令で(高松城が本城、亀山が支城ということで)一旦廃されましたが城の破却はせず、生駒氏(4代高俊のときお家騒動で)転封となり、
後をうけた山崎家治(1594-1648)が寛永(1641)年西讃に封ぜられ丸亀藩として城郭を再建しました。再建に際し幕府から銀三百貫を得て、参勤交代も免除されました。万治元(1658)年山崎氏三代で無嗣断絶し改易となりました。
改易後、京極高和(1619-1662)が6万石で入封、7代(212年)を経て明治4(1872)年廃藩置県が断行されるまでその居城でした。
          丸亀城跡の概要
都市公園(亀山公園)
国指定史跡丸亀城跡
重要文化財丸亀城天守
重要文化財大手一の門、二の門附東西土塀
県指定文化財玄関先御門、番所長屋附土塀 
大正8(1919)年8月開園
昭和28(1953)年3月31日指定
昭和18(1943)年6月9日指定
昭和32(1957)年6月18日指定
昭和38(1963)年4月9日指定 
資料は丸亀市観光協会発行「いにしえのときを刻む・丸亀城」などを参照しました。
せっかく訪れる丸亀の街、お城をみなくてはと思っていたのです。戦災に遭うことなく今日に至っていることを知っていたからなのです。
(北側から)僅かな角度でしたが、遠くからこの亀山城がみえた時、この城が(わたしには)武士が支配する近世領国の象徴であったのだろうな〜と思いました。丘といえる標高66mと聞く地が築城地として選ばれたのでしょう。
解体修理されたとはいえこぶりな天守閣をもつ丸亀城はやはり年代を経た風格と云うものがあるなと思いながら、急な坂を上り、天守閣の処に行き、これまた天守閣の急な木造階段を上り、丸亀の街を見下ろしたわたしでした。
14.03.15.裕・記編集

13.08.30.撮影
香川県丸亀市富士見町1の土器川大橋西詰側より丸亀城をみました

13.08.30.撮影

13.08.30.撮影
香川県丸亀市港町1の京極大橋上より丸亀城の方向をみました

13.08.30.撮影

13.08.30.撮影
香川県丸亀市大手町2より丸亀城大手二の門、天守閣をみました

13.08.30.撮影
香川県丸亀市一番丁に位置する丸亀城

13.08.30.撮影
天守閣をみました

13.08.30.撮影
観光案内所前に設置されていた丸亀城跡図を撮影しました



「香川県丸亀市」編



(「古墳遺跡遺構など」編)


(広島ぶらり散歩)
丸亀城 (概説)
  大手一の門・二の門、大手枡形
  天守閣
  石垣
丸亀城からみる丸亀市街地
(丸亀城)高浜虚子の句碑
(丸亀城)吉井勇の歌碑


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