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香川県丸亀市一番丁の丸亀城「大手一の門・二の門」「大手枡形」をこの頁で取り上げました。 |
丸亀城の大手一の門、二の門附東西土塀は(国の)重要文化財に昭和32(1957)年6月18日指定されました。 |
-丸亀城大手一の門、二の門-
もと南方にあった大手門を京極氏入城直後の寛文10(1670)年に北方のこの地へ移築しました。
大手の外門高麗門は吉妻造りで、左右に狭間塀を持ち向部の石垣は岩岐組みされ、大手二の門とよび、右方の櫓門は大手一の門とよばれ、楼上で時報の太鼓を打っていたので太鼓門ともいわれています。
両門とも同時の建造で主要部はすべて欅材を用いています。 |
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-丸亀城大手枡形-
もと南方にあった大手枡形を京極氏入城直後の寛文10(1670)年に北方のこの地へ移築しました。
大手一の門と二の門、狭間塀とよく調和された築造で、巨石を多く用いた堅固な枡形で、甲州流軍学の標準とする五間に八間の「五八の枡形」を凌ぐ、十間に十一間(18m×19.8m)の巨大なものです。 |
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*大手とはお城の正面のことを指し、追手とも書きます。 |
丸亀城の大手一の門、二の門附東西土塀についての説明板が設置され、国の重要文化財に指定されているということで、雨の中でしたが頁を編集しようと思い撮影しました。
入った時は、雨が強く、係員の方が大手枡形に溜まった雨水の排水をされていました。帰る時は小降りになってきていましたがシャキッとした画像で無いことをお許し願っておきます。 |
14.03.16.裕・記編集 |