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広島市中区広瀬町(当時・広島市錦町)に過ってあった「津田式ポンプ製作所」を取り上げました。 |
わたしが子どもの頃はよく見かけていた(井戸水をくみ上げていた)手押しポンプですが、上水道が整備された現在ではほとんど姿を消したと思っていました。
津田式と刻印された手押しポンプを廿日市市宮島町で見たので撮影したのです。
確か(中区の)碇神社でも以前に見たなと今(2006年)回被爆した桜を撮影したときに手押しポンプも撮影したのです。 |
津田式ポンプ製作所の事は(わたしは)詳しいことは知らなかったのです。
資料で、広島の会社で広島市中区広瀬町6(被爆当時町名:錦町)に鉄骨造の工場がありましたが被爆(爆心地から≒900m)で焼失残骸になったことを知りました。 |
津田式手押しポンプは、1921(大正9)年に津田喜次郎(1888-1959)が考案し全国を席捲した手押しポンプの名品で、戦後も製造を継続、しかし1970(昭和45)年倒産したそうです。 |
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「津田式ケーボー号」は、 1941(昭和16)年当時の商工大臣から国産一級品との認定を受け、同(昭和16)年9月11日官報で公示されたそうです。 |
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1960(昭和35)年頃から姿を消していったと聞きますが、そういわれるとそうかなと思うのです。
水が出る、津田式手押しポンプは稀になりましたが、(後日わたしは知ったのですが)その後を継いだKOYOのポンプが津田式の往時を今に伝えています。 |
昭和14年3月18日陸軍運輸部検閲済の「大廣島市」地図をみていて津田式ポンプ製作所が記述してありました。廣瀬神社の南側に位置していたのかとわかりましたので、下段に地図を付けました。 |
06.04.27更新 06.01.28裕・記編集 |