どういんがくといれいとう
動員学徒慰霊塔
(概説)
建立者:広島県動員学徒犠牲者の会
建立年月日:1967(昭和42)年7月15日
設計企画者:(村田相互設計事務所)村田正、村田正太
彫刻・陶板:圓鍔勝三
設計企画者:07.10.07一部訂正
  平和の女神像と8羽のハトを配した高さ12mの有田焼陶板仕上げで末広がりの五層の塔の中心柱に慰霊の灯明がついています。
塔の左右に四枚のレリーフがあり、その裏に全国戦没学徒出身校352校の校名と動員学徒悼歌(ほのお果てては)が記されています。
1944(昭和19)年8月に学徒勤労令を発し、中学生以上の生徒は軍需工場等での勤労奉仕が強制されました。11月には、空襲による延焼を防ぐため、民家などの建物を取り壊し防火地帯をつくる建物疎開作業にも、多くの生徒が動員されました。
広島市内でも被爆当日、市内で建物疎開作業を行っていた国民学校高等科以上の生徒約8,400人のうち、約6,300人が犠牲となり、また市内の各事業所に出ていた多くの学徒も犠牲者となったそうです。
戦後、政府は、原爆や空襲などで亡くなった動員学徒のうち、氏名・死亡日等の判明した者に限り靖国神社への合祀を認めた。この塔は、それを受け、名簿作成運動を始めた遺族による募金によって建てられたものだそうです。
2000年頃から平和記念公園の記念碑などを撮影し、頁を編集しだしました。その頃は動員学徒という言葉さえ知らないわたしでした。
2003年10月圓鍔勝三氏が亡くなったことで、この動員学徒慰霊塔の彫刻、レリーフの作者である事に注目して頁を更新しました。また、2007年になって、設計企画者に村田正太氏も参画されていたことを知り訂正しました。
06.06.03更新    01.10.30裕・編集

03.01.05撮影
広島市中区大手町1 平和記念公園(原爆ドームの南側)

04.05.27撮影
1967(昭和42)年  円鍔勝三作

05.08.06撮影
  塔後ろ両横の四枚のレリーフこれも円鍔勝三作品です。
  食糧増産作業 と 女子生徒の縫製作業
被爆60年のことしは多くの方が訪れていました。

’01.10.25. 撮影

’01.10.25. 撮影















































































































































































































































































































平和記念公園」編


「圓鍔勝三関連」編・全体



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動員学徒慰霊塔・概説
 (動員学徒慰霊塔の)レリーフ
  (動員学徒慰霊塔レリーフの)旗印・菊水
 動員学徒慰霊塔2005年8月6日
 (動員学徒慰霊塔)化粧直し工事
 戦没学徒出身校(名板)
広島市女遺族寄付の銘板・石材
山中高女遺族寄付の階段


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