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中区国泰寺町の広島市役所前庭に建立されている「広島市公務員原爆慰霊碑」です。 |
広島市の旧庁舎は、1945(昭和20)年8月6日米軍投下の原爆による周辺の猛火が南風にあおられ硝子が吹き飛んだ窓から火の粉が飛び込み地下の防衛課などを除き焼き尽くされ廃墟と化し、庁舎内には50〜60人がいたが、約30人の方々がその(昭和20)年のうちに死亡されたそうです。
資料によると慰霊対象477柱だそうです。 |
爆心地から≒1,020m (当時の町名も国泰寺町) |
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昭和20(1945)年8月6日の原子爆弾により尊い生命を失われた本市公務員の霊のためにこの碑を建て永遠の平和を祈る。
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昭和40(1965)年12月 広島市長 浜井信三 |
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資料を見るまでもなく広島市庁舎に原爆関連の慰霊碑があろうことは想像に難くないことでしたが、
2002年になって訪ね、居られたガードマンの方に建立場所を教えていただき撮影しこの頁を編集しました。
いままで、何度も市役所に来たこともあるのに横を通り過ぎるだけのわたしでしたので、わからなかったのです。 |
2002年「広島市役所職員慰霊碑」として編集していたこの頁でしたが、濱井(碑文では浜井)市長の碑文が“本市公務員の霊”とありますので、2004年になりましたが「広島市公務員原爆慰霊碑」と訂正しました。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.03.30再編集 碑銘を(職員から)公務員に訂正04.12.09更新 02.12.29裕・編集 |