(瑠璃光寺)知足の手水鉢砂原放光作:雪舟胸像

  山口市香山町の瑠璃光寺に設置されている「知足の手水鉢」です。
※同じく境内に建立されている砂原放光作「雪舟胸像」もこの頁で取り上げました。
知足(ちそく)の手水鉢(ちょうずばち)
手水鉢の四方の字と真中の口とを結んで字を考えて下さい。
吾唯足知(われ ただ たるを しる)となります。意味はお解りと思いますが、現実に感謝し不平不満を云わず、より前進を誓う言葉ではないでしょうか。
この言葉は、お釈迦様が涅槃に入られる前、最後の説法「佛遺教経」の中に云われた言葉で、この手水鉢は禅宗の寺にはよく使われています。このつくばい手水鉢は表千家型の配置です。
(つくばい)
蹲:
茶室の庭先に低く据え付けた手水(ちょうず)鉢。
(ぶつゆいきょうぎょう)
仏遺教経:
正式な経名は、「仏垂般涅槃略説教誡経」で、しばしば「遺教経」とも略称されます。
仏陀釈尊がマッラ国の首都クシナガラはサーラの樹の間、いわゆる沙羅双樹にて、今まさに滅度されようとする最後の時の説法を伝える経典です。
「仏陀、最後の説法」を伝えている経典は、漢訳経典では、『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』あるいは『仏般泥?経(ぶつはつないおんきょう)』、『長阿含経(ぢょうあごんきょう)』所収の『遊行経(ゆぎょうきょう)』、『仏本行実経(ぶつほんぎょうじつきょう)』だそうです。
ここで取り上げた「吾唯足知」は、東区の聖光寺の庭園でみてはじめて知ったのです。中区の禅林寺でもみたのです。禅寺にはあるのかなと思っていたので、ここ山口の瑠璃光寺は曹洞宗なのだと思って本堂の方に行っている時にこの手水鉢をみましたので、やはりここでも「吾唯足知」に関するものがあったと思い撮影しました。
撮影して頁を編集するだけではと思い、「われただ足るを知っての生活」に少しでも近づきたいと思っていても、ついつい不平を云っている自分がいるところが情けないのですが。
12.02.19裕・記編集
知足の手水鉢

07.01.03撮影
山口県山口市香山町7-1  瑠璃光寺
砂原放光作:雪舟胸像
せっしゅう
雪舟
1420-1506
<諸説あり>
室町後期の画僧。備中赤浜(現・岡山県総社市)の人。諱は等楊(とうよう)。
京都の相国寺に入り、画技を周文に学んだ。山口に画房・雲谷庵(うんこくあん)を開設。1468(応仁2)年渡明宋元画を広く学び1469(文明元)年帰国、のち大分に天開図画楼(てんかいとがろう)を開設。
自然に対する深い観照のもとに個性豊かな水墨山水画様式を完成し、後世に多大な影響を与えた。作「天橋立図」「山水長巻」など。
雪舟の名だけは知っていますが、昔島根県益田で仕事をした時、美術館(雪舟の郷記念館)に1989(平成元)年ふるさと創生資金1億円で雪舟の「益田兼堯図」を購入・所蔵していると知り、見学に行ったのですが、常設展示ではないとすげなく云われた事を思い出しましたので、雪舟像を撮影しました。像裏側に昭和30(1955)年12月砂原放光作と刻まれていました。

07.01.03撮影

07.01.03撮影
山口県山口市香山町7  瑠璃光寺(香山公園)



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