(おおうちひろよ)
大内 弘世:
(1325-1380) |
南北朝時代の武将、守護大名。周防・長門・石見守護。多々良姓大内氏の第9代当主。
周防(山口県)大内村の領主。観応の擾乱(じょうらん)で足利尊氏に対抗する足利直冬(ただふゆ)に味方して南朝方となり、同族で周防守護の弘直をおさえた。のち幕府と和解し周防、長門、石見の守護となる。本拠を山口にうつし大内氏繁栄の基礎をきずいた。 |
(おおうちよしたか)
大内 義隆:
(1507-1551) |
戦国時代の武将。義興の子。母は内藤弘矩の娘。
1532(天文元)年九州で少弐・大友勢が大内氏と敵対、陶興房(1475-1539)を出陣させ1536(天文5)年9月少弐資元を自殺せしめた。1538(天文7)年幕府の調停によって大友氏との和睦が成立。1539(天文8)年尼子晴久(1514-1561)の安芸進出に対抗して家臣を安芸に派遣、1540(天文9)年には子の晴持(1524-1543)と共に自ら出陣。1541(天文10)年1月尼子氏を破り、安芸・備後の平定を図った。その後も安芸・備後・伊予などに兵を派遣し反大内勢力と戦った。山口に下向した貴族らと交わり文芸に造詣が深かった。明や朝鮮とも交流。遣明船を独占。のち、義隆の寺社保護などの政策に対して家臣団の不満がつのり、有力家臣の対立もあって1551(天文20)年陶隆房(晴賢:1521-1555)らが反乱を起し、義隆は長門の大寧寺に逃れたが、陶氏の軍勢が迫ったため、冷泉隆豊(1513-1551)の介錯で自殺したという。 |
(Francisco Xavier)
ザビエル:
(1506-1552) |
日本に初めてキリスト教を伝えたスペインの宣教師。聖人。
イグナティウス・デ・ロヨラとともにイエズス会を創設。1549(天文18)年鹿児島に上陸し、以後2年間、九州・中国・近畿の各地で伝道。1552(天文21)年、中国への伝道の途次広東付近の上川島で没。シャビエル。 |
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1550年11月上旬周防山口に入り、無許可で宣教活動を行う。周防の守護大名・大内義隆にも謁見するが、男色を罪とするキリスト教の教えが大内の怒りをかい、12月17日に周防を立つ。
1551年4月下旬義隆に再謁見、珍しい文物を義隆に献上した。喜んだ義隆はザビエルに宣教を許可し、信仰の自由を認めた。また、当時廃寺となっていた大道寺をザビエル一行の住居兼教会として与えた(日本最初の常設の教会堂)。約2ヶ月間の宣教で獲得した信徒数は約500人にものぼったそうです。 |