(瑠璃光寺五重塔)若山牧水歌碑

  山口市香山町の瑠璃光寺に建立されている「若山牧水歌碑」です。




喜志子







































若山牧水歌碑
はつ夏の 山のなかなる ふる寺の
 古塔のもとに 立てる旅人
この歌は、明治40(1907)年6月牧水が21歳の時、東京から故郷の宮崎県に帰省中の途中この山口の五重塔を訪れて詠んだものです。
このとき同時に「山静けし山のなかなるふる寺の古りし塔みて胸ほの鳴る」の歌もつくっています。牧水は、宮崎の生れですが、旅と酒を愛した遍歴の歌人といわれ、明治・大正・昭和三代にわたり活躍し、昭和3(1928)年43歳で没しました。
碑の書は牧水夫人・喜志子(歌人:1888−1968)の筆です。この岩屋の花崗岩は明治初(1868)年皇居造営に際しその礎石に使用された程の良質の石材です。
(わかやまぼくすい)
若山牧水:
(1885-1928)
歌人。宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)生まれ。本名:繁。早稲田大学英文学科卒業。
尾上柴舟(おのえさいしゅう:1876-1957)に師事。前田夕暮(1883-1951)とともに自然主義歌人として一時代を画した。旅と酒の歌が多い。
歌誌「創作」を主宰。歌集「海の声」「別離」「路上」「死か芸術か」「山桜の歌」。
若山牧水の名は知っていてもその作品については碌な知識もないわたしでしたが、瑠璃光寺境内というか、香山公園内というのか散策している時、説明板が設置されていましたので、ここ瑠璃光寺を訪ね歌を詠んだことを知りました。
12.02.22裕・記編集

07.01.03撮影

07.01.03撮影
山口県山口市香山町7番1号



「山口ぶらり散歩」編


(「文学碑など」編)



(広島ぶらり散歩へ)
瑠璃光寺
  大内弘世公之像
  知足の手水鉢雪舟胸像
瑠璃光寺五重塔
  司馬遼太郎文学碑
  若山牧水歌碑
  友廣保一歌碑


inserted by FC2 system