みとしろ こふん
御年代古墳

  三原市本郷町南方にある「御年代古墳」です。
  国指定指定史跡  御年代古墳  昭和8(1933)年4月13日指定      本郷町観光協会平成23(2011)年12月
本古墳の玄室は前後二室あり、前室は長さ3m、幅2.2m、中央に家形石棺(長さ2.36m、幅1.34m、高さ1.2m刳抜形)があり、後室は長さ3.6m、幅1.9m、この中央にも花崗岩の家形石棺(長さ2.45m、幅1.08m、高さ1.4m刳抜形)があります。特に、石棺の蓋石は両方とも縄掛突起の無い家形で表面は非常に優美に削られています。
この様な横穴式石室は大陸に発達した墓制の影響をうけて6~7世紀の間にわが国にも流行したもので、この古墳のように玄室が複数の複式墳はその影響の最も顕著なものでしょう。
特に、玄室の天井や羨道は巨大な一枚の巨石で、立体的に築造され、計算し尽された精緻な内部構造は優れたものです。
副葬品(須恵器など)は東京国立博物館に所蔵されています。
広島県教育委員会の資料には、
『沼田川に注ぐ尾原川の奥まった谷の南面する丘陵端に位置する。封土はあまり明瞭でないが、円墳と考えられる。内部主体は花崗岩の切石で築かれた整美な横穴式石室で、後室・前室・羨道からなり、各室に花崗岩製の刳抜(くりぬき)式家形石棺が納められている。
全長10.7m。後室は長さ3.6m、幅1.9m、高さ2.2m。前室は長さ3m、幅2.2m、高さ2.2m。羨道は長さ4.1m、幅1.55m、高さ1.9mである。
家形石棺はいずれも縄掛突起がなく、前室の蓋の棟は幅広扁平である。
出土遺物としては、金環、金銅製馬具、須恵器などがある。出土遺物や家形石棺などから、7世紀中頃の古墳とみられている。全国的にも注目される古墳である。』と紹介しています。
泥塔(でいとう)≒泥土製の小塔。中に大日如来の種子(しゅじ)である阿(आः)字などを書いて納める。
広島県内最大の石室をもつ梅木平古墳を見学する予定だったのですが、「歴史ロマンの散歩道ほんごう古墳の里」というリーフレットを本郷町生涯学習センターでいただき見ると梅木平古墳のほかにも古墳が点在することを知り、見学することにしたのです。
梅木平古墳からここ御年代古墳への(旧山陽道)道も道路幅が狭く、旧道沿いに設置の「御年代古墳入口」の立て看板からの道はもっと狭く前方から車が来たらどうしようという道でした(標識辺りの通行に邪魔にならない処に停車して)徒歩で≒200mくらいですので歩いた方がいいように思いました。
  この古墳について事前に予習していませんでしたので、石棺が遺っておりしかも2つの石棺があるという(わたしは、はじめてみるという)この古墳に少々興奮しながら狭い石室内を見学したのです。
 16.05.20.裕・記編集

16.05.12.撮影
広島県三原市本郷町南方(みなみがた)   

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影
史蹟名勝天然紀念物保存法ニ依リ昭和八年四月文部大臣指定

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影
奥にも(別の)石棺があります

16.05.12.撮影
前室石棺蓋の欠け(盗掘用?)

16.05.12.撮影
 前室天井の一枚の巨石をみました

16.05.12.撮影
後室の石棺と前室の石棺をみました

16.05.12.撮影
後室の石棺表面仕上げ状態をみました

16.05.12.撮影
玄室奥壁の一枚巨石をみました

16.05.12.撮影
(後ろの玄室)後室天井の一枚の巨石をみました

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影
(本郷町観光協会2005年8月設置写真を使用しています)



「古墳遺跡遺構など」編



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